教育の真実は教壇だけにあるとは限らない
スタジオで解き明かされる真理もある
教育を旅する中村俊一が、
異界の達人らとポップに繰り広げる
教育をめぐる素敵で愉快なトーク
第3話 小河勝「今、大阪の教育に求められているもの」
第2話 上甲晃「志の立て方・磨き方」
第1話 ダルビッシュ セファット ファルサ 「ネバー・エンディング・ストーリー」
連載予告
河瀬和幸 「販売は科学だ」
ムサムハンマド オマル サイード 「日本人が失ってはいけないもの」
一色尚 「学校再生の秘訣」
難波利三 「作家修行時代」
佐野浩一 「本物の生き方」
位田隆久 「家庭の再生」
出口汪 「小説家の夢を実現する」
もりけん 「モンゴルの心とは」
木村榮一 「柔道少年が学長になる」
山岡八高 「キッズタレントの育て方」
高橋史朗 「発達障害を防ぐ」
北原照久 「夢の叶え方」
受験は地獄ではない
自分の生き方を探す旅でもある
忘れてならないのは知識の向こうにある自分
幸福をつかむための受験教育があっていい
■ラジオ番組でパーソナリティをつとめる「教育BOX」は、教育論としては盛りだくさんです。各界から多彩なゲストが登場していますね。
人にお会いするのはこだわりがあるようでないんで、紹介された人とか、いいね、ってなると会いに出かけていきます。どなたでもお会いします。ただし、自分が納得しない人は呼ばないんです。(笑)
お話を伺いますと、どの方も、ひとつの形をなしてる人は、それなりの素晴らしい良さがある。私の役割は、その方のいちばんいい点を一週間の中で9分の間で、引き出すことです。だから、かならず事前に取材に行って、下調べをして、お話して、いろいろざっくばらんに話をしていただいています。そこがまず面白いですね。すると、じゃあ、それを中心にお話してくださいますか、ということになりまして、原稿を書き出します。
実際には、あちらこちらと動くんですが、だいたいゴールは、ほぼ落ち着くところにたどりつく。それがないと纏まらない。
■お話をうまくまとめていますが、手作り感がいい。
局側のサポートはほとんどありません。僕が人選して台本を書いています。全部。
ディレクターは、当日来て、ハイはじめましょか、とか言って始まるんですね。リハーサルもなしに。今日のゲストの方はこんな感じですとか、こんな話の内容ですけど、前、打ち合わせたとおりでいいですか、とか。ちょっと変えますか、ハイ、じゃあ変えましょとか。そんな簡単な打ち合わせを5分ほどして、いきなり始めまります。
普段の日は、自分で原稿を書いているんです。アシスタントの振りなんかも入れましてね。その辺がまた面白いんです。
■教育界の人間としては媒体の扱いが手際がいい。
まったく素人ですよ。
■始まりはいつ?
2002年です。教育産業界もテレビコマーシャルしているところとか、あるじゃないですか。当時も今も。マスメディア使って。でもそんなん、したくないなって。じゃあ、ラジオ放送はどうかなって。
でも、ラジオでも、向こうが持ってきた話をただ一方的におしゃべりするのは、どうかなあと。世間の評判なんかも聞いて、今週はこんな塾です、とかね、こんなことしましょうよ、とかね。そんなんはいや、ってね。(笑)
どうせやるんだったら、教育、文化を発信したいと。できるかどうかわからないけど、やりたいと。毎回毎回、「教育」について考え、それを発信をしたいと。そう言ったら、面白いからじゃやりましょうと、いうことになったんですね。
■勿論、試行錯誤もあった。
最初はね、ぜんぜん、しゃべれないですよ。やっぱり書かないとだめですと言われて。行き当たりばったりだと絶対だめですと。で、原稿書くようにしたんです。
でも、原稿書きですら、うまくいきませんでした。たとえば、9分30秒で納めて収めてくださいと言われてもうまくいかない。最初は、9分の原稿でも2週間ほど掛かってしまって、もう産みの苦しみで3か月過ぎたんです。
もうこれは大変やと。こんな大変なものとは思わなかった。
でも、だんだん、だんだんうまくなっていくんですよね。すると面白くなっていく。じゃ次は11月から3月までやりませんかとなって、じゃやりましょって。5ヶ月では詰まらんから、6ヶ月2クールでやってくださいと。じゃあ、ゲストを呼ぼうかということになって、で、1ヶ月に2回目は僕の話で、2本はゲストで行こうと。
■教育界以外の方との新たな出会いがはじまった。
そうです。試行錯誤しながら、ずっとやってきたんですが、そしたら、この番組通じて、普段知りえなかった人にも知り合えないかと、なんだか、どんどんどんどん好奇心が湧きだしましてね。
面白い人は、僕の脳に引っかかりますね。ひらめきで、この人いいなあと思うと、つい会いたくなりますね。
会ってみると、さらに教育のいい話が聞ける。こりゃあ面白い。
■教育をめぐる素敵な話を探しだし、それを発信し続けてきているわけですが、一方で、学習塾の館長という立場から知識習得や教授に関する技術論もある。たとえば、脳の話は受験生の親としては、興味深い。
今取り組んでいるものとは。
「親学」ですね。これは、基本的には、親が変わらなければ子どもは変わらないということなんですね。今の時代、親が子育てするにはどうしたら良いのか、これもまさに脳科学なんですけれど、脳科学からみた子育て論。
最近では、高橋史朗さんをゲストにお呼びして、発達障害の話をしていただいた。
なぜこれをするかというと、じつは発達障害は予防も改善もできるんだっていうことでね。いま、ものすごく増えているんですね。
たとえばマザーテレサの言葉を使いながら、いやらしくならないように、たとえば男女平等とか、そこと対立させないように、科学的に、イデオロギーを超えてやろうと。教育の話を科学的に突破してやろうと。
■イデオロギーと異なる視点が安心できるところかもしれません。
子どもを育てるのは実はイデオロギーじゃない。科学的に、これとこれと、これをやっておけば、発達障害になりませんよと、将来ちゃんと育ちますよと。
■話題そのものは専門的なものが並んでいます。
たとえば、今は中断していますが、脳の話などは、川島隆太さんとか、茂木健一郎さんなどが書かれた文献を根拠にしています。私は、教育や受験において重要かつ面白い内容を発見してきて、それを広く、分かりやすく伝える。分かりやすくというのはとても必要だなあと思っています。
■授業でも教科書を自分の言葉で分かりやすく伝達する。
本職です。分からせるというのは大切です。
■「教育」をテーマにしたラジオ番組は珍しく、それも長く続けるのはなかなか難しい。「教育」は重たいし、「教育的」だと嫌われる。
好きでやっていますから強いです。原稿も自分で書くし。最近は、ディレクターなんかにも何も言われない。
ディレクターには、昔、1回だけ怒られました。物の見方が断定的なところが目立った原稿を書いて送ったんです。すると、ディレクターが、始まる前に、ちょっとってね、珈琲飲みながら、「僕はこの考え方にはないんだよ」って言うんです。「僕のような人がいると思って話してください」とね。
そのあとは断定しない。言い方なんですね。これこれでしょ、とは言わない。これこれだとは思いませんか、みなさんどう思われますかと、問いかける。
■教育そのものですね。教育は共感を生むための問いかけ。
そう、問いかけですね。そのためには語尾を変えていく。何々ということもあるかもしれないと可能性を示唆する。
■リスナーに選択肢を与える。
そうなると番組自体も良くなります。(笑)
■ブログでも発信されていますが、中村さんの魅力は声にあるように思えます。包容力とか、柔らかさとか。テキストだとリズムが伝わりにくい。
ブログ上では、なるべく、「ね」を取ってるんです。文にすると目ざわりでしょうがない。
■このインタビュー記事では、なるべく「ね」を落しません。(笑)
原稿を書いているところでもね(笑)、おそらくリスナーとっては原稿を読んでいるとは思っていない。ちゃんと読めるようになっている。
自分では文章になっているのは分かるんですが、聴く方は会話調にしか聴こえないというんです。じつは、そういう台本を書いてるんです。
ところが、ゲストの番組になると原稿がない。するとやっぱり話し言葉になる。それをテープ起こしすると、論理的な飛躍がもの凄い。言葉で伝わるニュアンスっていうのがあるじゃないですか。これは難しいなと。
■放送はポップなままでよいと思います。楽しそうな「教育番組」です。
そもそも「教育BOX」という名前の由来は?
教育何々、っていっぱいあるでしょ。教育フロンティアとか、それこそいっぱいあるじゃないですか。なんにしようって。まあ、いろんなさまざまな教育の引き出しを開きたいなあと。じゃあ、ボックスにしようって。それで「教育BOX」ってなりました。
■玉手箱みたいな。
そう、一つずつ開いて。教育にはいろんなボックスがあるから、一つずつ開きながら、始めようと。放送の初めに、これを言うんです。さまざまな箱を一つずつ開いて、私といっしょにかんがえていきましょう、と。
3か月間は、なんとか持ちましたが、でも、まあまあいけるんじゃないかということで、通年やったらどうって言われもしたんですが、受験が近づいてくる半年ごとでやろうってことになったんですね。11月から3月まで放送しています。
そしたらね、5年ぐらい経ったときにですね、「タリラリラ、タララッラ」っていうテーマソングが掛かったら、ラジオ局の人が何んて言うたかと、「今年もまた受験のシーズンになりましたね」って。定着したよって。
■放送エリアは、関西全域ですね。主に、どのような方々が聴いていますか。
聴いてる人は、どうもラジオ世代、私らから上の世代が多いらしい。内の親の世代から下ですけどね。よくおじいちゃん、おばあちゃんが聴いてくださってると。
■受験期に入った子どもたちにも聴かせたいですね。今では、ブログとか、ケータイとか様々なツールがありますが、ラジオは現代にも息づいている。
ラジオっていうのは、耳から入ってくる。言語能力を耳から採り入れて処理していく。そうすると、ものすごい集中力要りますね。
テレビとは異なった情報処理で、凄い頭を使っていると思うんです。何を言っているんだろう、この人はと。ラジオは、脳にいい影響を与える。
■今回は中村さんご自身についてお聞きしたい。
教育の世界にはいってこられたきっかけは?
僕が、教育の世界に入ってきたのは、まず学校という雰囲気が好きだったんだろうなと、何となく思うんです。
ただね、基本的には、自分はどういう存在なのか、自分というものの、いわゆる人生の意味であるとか、なぜ生きてるのかとか、どうやって生きればよいのかとか、そういった人生の問いというものを問い続けていきたいっていうのがあるんです。
これはどんな仕事に就いてもあると思うんですけれど、教育の世界にいますと、学びながら、逆にそれを伝えていくことになる。そういうところがやりがいに通じる。だから教育の世界を選んでいるんだと思うんですね。
■学び方、生き方を伝えたい?
伝えたいものには、知識とか、いろんなものがあります。たとえば、人間がどういうふうに生きていったらよいかもそのうちの一つですね。押し付けじゃなくて。あるいは、悩むこともそう。むしろ悩むということは良いことなんですよと伝える。問いのないところに答えはない。
悩むからこそ人生の深みが出る。悩むからこそ、ほんとに乗り越えたときの喜びがでる。そういうことの学びかな。そういうものは、ぜひ、みんなに、やってほしいよっていうことなんですね。それは、根底にありますね。
だから、教科書を伝えていくとか、知識を与えていくとか、それだけじゃない。どっか根底には、人間論とか、世界観とか、存在論とかですね、どっちかというと哲学的な内容が含まれているんですね。メッセージの中に。
たった一回きりの人生だから、一回きりの人生をどうぞ意味あるものにしたい、してほしいと。
そして、できれば、知識をただ単に自分の野心のために使うのではなくて、喜びを与えるために使うんだと、伝えたいですね。人間っていうのは、結局のところ、周りの人に喜ばれることによって、自分の喜びとなるんだと。志ですね。みんなのために、知識を使っていくように学んでいく。そうすると、人間ってものすごく住みやすくなるんじゃないの、世の中って。伝えたい。
■子どもたちに響きますか。
偶々ね、塾の優秀なクラスに集まっているんですが、その中で、君らね、ここに来させてもらってるだけで、親に感謝しろよって言うんです。親にありがたいと思えなって。
なおかつ、君らな、ラッキーやと、賢く生まれてるもん。さらに努力もしてる。でもな、努力しても、逆上がりできへん子もおるやろと。君たちは、努力すればするほど、賢くなってるやん、素晴らしいなと。
ただ一つ、お願いがあると。それはね、自分が金儲けしたいだけとかね、そういったことだけで使ってほしくないなと。君らね、それをね、人に喜ばれることで、いっくら金もうけしてもいいじゃないって。たくさんもうかったってかまへん。人に喜ばれるんだから。喜んでみんな買ってくれるんだから。
そういうことをして、みんなに喜ばれて、自分も尊敬されて、それが君らに課せられているんやでって。頭いいやつらには。ぜひ、そういう人生を歩んでくれよって。
そう言うと、何人かは、モチベーション上がるんですね。
あ、そうか、そういう考え方ってあるんだなって。今、ややもすると、自分さえよけりゃあいいみたいな、自分さえ儲かったらそれでいいじゃないとか、他人はどうなったっていいじゃないとか。今さえ良ければいいじゃないとか、そういう価値観の中で、子どもたちは、育っているんですよ。
■受験教育の中で「生き方」を伝えるのは難しい?
難しいけどやらなあかん。一方で、塾としてのニーズはある。結果を出さないといけない。結果を出すためのノウハウ、どうやったら勉強が合理的に頭の中に入っていくか、それも大切ですし、それをどんどんやりますよ。
でも最後はね、本人のモチベーションなんです。僕は頭がいいから医学部行くという子はね、それで終わっちゃう。アフリカ行って病気の人を救いたいから医学部行くっていう子が爆裂的に伸びるんですよ。
■目的意識が明瞭な子が伸びる。
ただ、テクニックだけで、ある程度勉強は延びます。トップ校も行けます。
でもその先が大切なんだと思うんですね。そういったところを教えたいですね。
■教育の現状をどう見ていますか。
矛盾してますね。まずね、我々のような塾が流行ったらおかしいですよ。(笑)
じゃあ、何で、解決できないのって。ただ、競争は否定するものじゃない。競争がなければ、やはりだめだとは思います。リーダーになる人は、蹴落としていくんじゃなくて、弱い人も含めた精神力を持ってほしい。そういうリーダーを育てたい。
今、平等と自由との軋轢の中で、教育はできてるじゃないですか。ここに大きな矛盾があって、そのバランスが大切ですね。
もうひとつ、日本の、日本人の自縛ですね。これは、GHQによる占領政策としての戦後教育の影響が大きいと思います。
たとえば、War Guilt Information Programという戦争の犯罪意識を植え付けるプログラムが指摘されています。これは要するに、二度とアメリカに楯突かない。骨抜きの国にするためにはどうするべきか、日本人から伝統的な精神や誇りを奪えばいい、というものです。
そのためには、1つには誇りある歴史を教えてはならない。2つ目は、日本人というのは、道徳的には、江戸、明治、外国から絶賛されていたんですね、そういう精神を教えてはならない。3つ目が、いわゆる自分を超える畏敬の念、神、宗教を教えてはならない。この3つを徹底しますとね、結局、アメリカが意図した政策通りになってしまう。
僕は、子どもたちには、こう説明してるんです。
君らね、無人島に放り出されたら、何日間生きていける? 水はどうする? 米はどうする? 服はどうする? 家はどうする? 着てるもんは何なの? 靴どうするとかね。何一つとっても、君だけでできてるものないだろって。
人間が存在してるっていうことは生かされているんだよって。
つまり、自然のおかげだとか、社会のおかげだよねって。服を作っている他人が作っているものに頼っているとかね、そういうもののおかげですよって。そこに感謝が出てくるでしょって。感謝をして、生かされて生きるという生き方というものが必要ですね。そういうことが抜け落ちているんですね。
■じつは日本にも、過去にいいものがたくさんあってたんだよって聞くと、子どもたちは喜びますでしょう。アイデンティティの問題だけではなさそうです。
僕らは、歴史を捨てさせられ、伝統を捨てさせらた。そこに深い根っこがある。占領政策は、結局、そういった精神的なものを教師とともに追放して、自分たちの考えに従う人たちを徴用したわけです。大学の先生なんかもそうだった。
僕らは、それに気付いていない。そのまま、ずーっと来ている。でも現実の問題を見てみたら、どうもおかしい。なんで、こんなにみんな、自分中心的で、無責任で、人を批判して、矜持もなくなって、これは一体何なんだと。
昔、明治時代や江戸時代、外国人が書いている文章を見ると、日本人を絶賛しているんですよ。こんな素晴らしい国はないと。じゃ、失ったのはなんでだろうと。そういったところが今の教育の根本的な問題だと思いますね。
■教育をどこへ引っ張っていこうとお考えですか。
これは難しい。学習塾としてはニーズがある。
■ボックスも一つの形の現れですよね。「教育」に詰まった偏見やら既成概念やら、新規性やら、じつは教育には多様な考えがあっていいことを広めていらっしゃる。
それをやらないと僕が持たない。じつは僕自身の中に自己矛盾を抱えてますから。
塾っていうのは、先生、ものすごく熱心なんですね。週1回、いま学校で週4回やるところ、週1回です。しかも学校より分かりやすくないといけない。学校で6時間授業している。クラブ活動もして、疲れてやってきているなかで、90分授業2本受ける。拷問ですよ。
僕は大学生によく言うんですよ。君らね、大学の授業90分だろうって。それ4コマやって、それ詰まらんかったら拷問やろって。どう思うって。でも一見に来て観って。みんな嬉々として聞いてるよって。
なぜか。
それは授業が分かるから。楽しいから。学ぶことが楽しい。それって、将来必ず役に立つことなんですよ。学ぶということが楽しくなければ、絶対学校なんかに行ってもしょうがない。
■原点は教師ですか。
教師っていうのは、熱心に一生懸命やっている姿を見せないと子どもは信用しない。それだけです。だから、イデオロギーの対立だとか、労働条件がどうとかね、そういうことを前面に出してはいけないように思うんですね。
■メッセージをください。
子どもたちには、人生は一度きりですよって、伝えたい。一回きり。だから、本当に、自分が納得する人生を生き切る。そのためには、やはり学ぶという基本が大切ですよと。学ばないと人生は広げられない。だから、学ぶと言うことは大切。
学び方というのは、学ぶこともあるけれど、学ぶ形を学んだら、自分で離れて、自分の人生ですから、自分で充実した自分の人生を送る。
教師の方には、先生という職業倫理は何ですかと問いたい。つまり教壇に立つのは、学校の先生だろうと、塾の先生だろうと変わらない。教えるということに対して、90分の中で、何を伝えられるのか。それが仕事ですから。
どれくらい、子どもたちに、学ぶって楽しいなって、思わせることができるか、この職業倫理として、手を抜いてはいけませんよね。
■お父さんお母さんたちには。
現代日本人みんなですけれど、やはりね、みなさんね、おカネって勿論大切なんですが、おカネを追い求め過ぎるがゆえに、何か大切なことを見失っていないだろうかと。私も含めてね。
■経済的な物質的な欲望以上に、大切なものがあると。
自分の生き方としてね。たとえば、子どもに生き方を伝えていくためには、自分は何のために生きているんだろうと。どうやって生きていくんだろうとか。
そういうことについて、大人になると、なにかしらの理想の生き方を無くしていくじゃないですか。そうではないところを子どもに示してあげてほしいなと思いますね。
■幸せが根底に見えてくる。
子どもが幸せになる教育って何かを考えさせるわけですね。幸せになるために、社会はどうあるべきなのか。親は、学校は。
いちばんの問題は、日本人は、幸せを感じる力が衰えてきていることですね。つまり、物が満たされないと幸せを感じることができない。あるいはおカネがないと幸せになれないと感じる。
たとえば、旅行に行って、美味いものを食って、いろんなものを見て、それが幸せなんだと。そうじゃなくて、季節の移り変わりのなかで、昔は、二十四節気とか身近だったじゃないですか。花が散る、そこに幸せを感じることができる。あるいは、子どもが、ちょっとした成長をしたときに、幸せを感じられるか。感謝できるか。
感謝もできない、感謝がないから幸せも感じられない。ものすごく感性が衰えてきていると思うんですね。これは一体なぜなのか。ひと言でいえば、現代はニヒリズムの時代かなと思っています。