続・教師の品格|柳谷晃



第1回

公立中高一貫校は受験に強くない?



1.公立中高一貫校

都立高校の人気が下がり、私立へ生徒が流れていた。その最大の原因は、大学受験に都立高校が弱くなったからである。特に東大合格の人数が、中高一貫の私立高校に完敗していたのである。東京都が学校群制度を作ってから、都立有名校の東大進学数が減少した。もちろん、学校群の恩恵で大学進学の実績を伸ばした高校もある。

しかし、学校群制度が落ち着いたときには、私立に完敗になった。ここ数年、この状態を打開するために、都立高校でもいろいろな工夫をしてきた。

そして、都立高校の起死回生策が、中高一貫校である。しかし、文部科学省の政策で公立の中高一貫校を作っているのは、都立高校の起死回生のためではないのは当然である。高校は大学入試のために作っているわけではないから当たり前。教育の質の向上といういつもの理由がついている。全国に500校程度の公立中高一貫校を作るという。

ここでは、国の政策、教育の根本的な問題をひとまずおいて、大学受験ということだけで首都圏の公立中高一貫校を考えよう。首都圏に絞るのは、地方の多くが私立よりも公立のほうが校数が多く、当然実績も高いからである。


2.中高一貫校は大学受験に強いのか?

その答えは、「強くできる」である。
ここでは、どれだけ大学に入れられるかという、数字だけを考える。

最初に言っておくが、社会全体が理解していないが、問題を解けることが、その科目の実力をつけたことにはならない。教科書や参考書の問題は、我々が解けるように作っている。ある意味、解けて当たり前。

本来は、それが現実に使われるときに、自分の知識の姿を現実に応用できるように変えることことである。これについては、また、別の機会に書く。だから、大学受験に強いからといって、良い教育をしている学校ではないし、生徒の未来を考えている学校ではない。

しかし、ここでは、大学入学の実績の数字をあげられるかどうか。ここだけに焦点を当てよう。生徒にとって良いか悪いか、勉強にとって良いか悪いかを議論しない。大学入学者数を無理にあげることができるか?そこに焦点を絞る。

一つ注意して欲しい。東大に何人入れたかが、そこの高校の入試に対する実力を表さない(表すものではない)。頭の良い子を集めれば、ほっといても入る。今の大学は昔の大学ではない。東大も同じこと。入りやすくなっている。入りやすくなっているという意味は、入っている学生の実力が低いということである。20年前なら、東大に絶対に入っていない学生が入る。他の一流大学も同じことである。この事実も中高一貫校を考えるときに大切になる。

開成、麻布、武蔵、海城、巣鴨などの私立の中高一貫校は、大学受験に強いと言われる。東大だけでなく、一流大学というところに多くの学生を送り込んでいる。東大の入学数だけを見てはいけない。東大には入る力はないが、ある程度の力はある。このレベルの生徒たちをどこのレベルの大学に入れているかが大切である。それが、本来の受験校の実力。どの家の子も、東大に入れる分けではないのだから。最近、中高一貫校で、東大に入る学生数を伸ばした学校はほとんど、他の大学の入学数も増やしている。


3.公立と私立の中高一貫校の比較

カリキュラム(教える順番)

私立の中高一貫校の強みは、教育委員会の指導をあまり気にせず、受験に対する目的一本に絞れるからである。もちろん基本的なところで従わなければならないのは当たり前であるが。

たとえばこんなカリキュラムが作れる。私の専門の数学について言えば、中学の範囲は早く進めやすい。それで、中学1,2年で中学全体の範囲を終わらしてしまう。中3では、高校1年生の範囲を教える。ポイントはこの後である。

中3で一度やった範囲を、高1で復習する。問題集などを使えばよい。これと同時に高2の範囲を勉強する。高2では、前の年に教えた復習と、高3の範囲の勉強をする。これで、高3の時には受験の範囲全体を習っていることになる。すぐに、大学入試レベルの演習に入れるわけである。

各学年でやる内容も取捨選択することができる。実際に、これに近いカリキュラムを取っている学校もある。他の教科も同じようなことができる。

まあ、どっかの有名女子高のように、うちでは大学入試について特に対策を取っていません、というところもある。話したがる校長もどこで生きてきたのか分からないような、狭い了見の人だったが。

それでも大丈夫、生徒は自分たちで予備校に通って、受験指導を受けている。頭の良い子が集まっているということだ。こういう学校は、力のない先生がいても問題ない。

カリキュラムに話を戻そう。私立文系なら、高校で定められた数学の最低限の必修単位だけにする。その代わり、私立文系の選択科目を徹底的に教え込む。受験の中心となっている英語の時間数を増やす。実用英語など無視して、受験の英語だけに特化する。大体、今の大学受験は英語の点数が合否の鍵を握る。理系でもそうであるから、いかがなものかと思う。東大でも同じである。

その結果、英語を歪めるような、英語の受験問題集一つが年間20万部ほども売れることになる。まあ、このことは余談であるが。

さらに、こんなこともできる。ある私立高校を塾が買い取った。すぐに塾の方法を導入する。毎朝、演習。塾だからアルバイトを集めるのは得意。アルバイトを使って、その日の内に朝の演習の採点をする。間違えたところは、放課後補習をする。できるまで帰さないかどうかは聞いていない。どっかの塾のように、子供用のドリンク剤を渡すかどうかも聞いていない。注意しておくが、これはできない子にすることで、ある程度以上の力のある子にこんな事をしたら、自分で工夫して勉強する力を削ぐことになる。

大学に入るということは、自分で勉強できる力を付けることを意味する。しかし、大学にとにかく入れるということを考えると、そんな正論はぶっ飛ぶ。何も考えず、まずは、入りゃいいということになる。

大抵の親はこのレベルである。大学への生徒の入学人数だけ考えて、自分の子供がそこの高等学校の勉強についていけるかどうかなど考えない。また、大学に入って卒業し、社会に出たときの挫折を予想しない。どの段階の挫折でも、外部のせいにする。自分の躾、家庭教育は顧みない。全て人のせい。

このレベルの親には、受験に特化した、私立中高一貫校は魅力的である。目的は大学受験に特化していることである。しかも、中学から準備ができるなら安心である。ただし、自分の子供の実力は別にして。

親の話は別にゆっくりまたしよう。確かに、私立中高一貫校のカリキュラムは成功している学校ほど機能的である。しかし、その本質は繰り返しなのである。いかに大切なことを定着させるかである。けっして、世間で簡単に言われる、テクニックではない。教科書の基本事項の定着。

できるという学校ほど、実力のある先生ほど、受験のテクニックなどということはあまり言わない。レベルの高い大学ほど受験のテクニックなどでは入れない。

中高一貫校の場合に、中学では高校の内容を踏まえて、中学のカリキュラムを考えなければならない。今教えている中学の内容が、高校の中でどの位置を、占めているのか。さらに、大学入試でどのような役割や、位置を占めるのか。こういうことを考えられる教員がいるかどうかで、学校の機能性が変わる。

その上に高校の内容を、大学受験に対応できるようにつなげていく。これをするには、数学だけとか英語だけとかで考えるのではなく、教科を横断的に考える必要が出てくる。

教員についてはどうか

私立で、大学入試に好成績を上げている、半分以上の中高一貫校は中心になる先生が何人かいて、このようなカリキュラムを作る調整をしている。また、その能力がある人がいる。または、先生全体の息が合っている。しかし、このようなことが全ての私立中高一貫校でできているとは言わない。

さて、公立の中高一貫校でこのようなことができるかどうか。

最初に中学の教員は、中学の教員から引っ張ることが多い。もちろん、高校の教員の中に、中学の教員免許を持っている人もいる。この人たちを使うという手がある。しかし、中学を教え慣れていないと、中学生の扱いと高校生の扱いはまた違うのだ。簡単に、高校にいた教員を中学で使うわけにはいかない。

ところが、中学を続けていた教員は、大学入試など分からない。まして、中学の勉強が、大学入試に向けた高校の勉強のなかで占める位置など分からない。当然、大学受験に向けてカリキュラムを整理することなど不可能。

私立中高一貫にも、力のない教員がいて、中学以外もたせない場合もある。が、その場合は、大学入試に向けたカリキュラムの中で、中学のカリキュラムができているので、そういう教員がいても、言われたことを中学でやっていれば良い。

公立の中高一貫校の場合、新設が多いからこれから自分の学校に適した、カリキュラムを作らないといけない。このとき、今まで中学だけをやっていた教員は役に立たない。

ならば、中学の教員と高校の教員の交流をすれば良いと考える人もいるだろう。そう簡単にいかない。先ほども書いたように、高校生になれている人は、中学で教えたいとは思わない。

一方、中学の教員にしても、中学でいろいろ工夫した授業をしたり、それについて、論文を書いたりしても、それは教科の実力があるわけではない。教え方の工夫をしただけ。こういう教員が、自分に力があると誤解するので、返って使えない。高校で教えられる力などはない。だから簡単に交流などできない。

今現在、公立の中高一貫校はできているのだ。必要なのは即戦力の教員である。公立、特に、中学の方に大学入試の即戦力になる教員はほとんどいない。

監督官庁の問題と転勤

次に問題があるのが、管轄の教育庁または教育局である。中高一貫で大学進学を目指すなら、一貫したカリキュラムを考えるのが当然。しかし、教育庁が普通の中学でいなさいなどと言うのである。何のために作った中高一貫校か?と親は見るだろう。大学入試を考えなくても、中高一貫の形を作ったのだから、その特色がなければ、生徒は集まらない。

中高一貫の形だけで、実際にはつながっていない。これでは、何のために公立の中高一貫校に入ったのか分からない。だから、中学を卒業したときに外に出ることもある。

もう一つ公立には「転勤」と言うものがある。これが曲者である。中高一貫校は重点校であることが多いので、他の学校ほど転勤はない。しかし、制度がある以上転勤はやってくる。中学に入学した時の先生が、卒業するときにはいないということが起こる。

これは、駄目な教員がいなくなるという良い方に働くことは少ない。継続性がないということに働き、悪い結果をもたらすことが多い。

私立の中高一貫校には、転勤がないから、どうしようもない教員を取ってしまったら、本当にどうしようもなくなる。しかし、影響のない場所を教えさせたりすることはできるから、自分の学校の中で処理することはもできる。そして、中心となる先生たちが、大切なところをまとめる。大切なところをまとめる教員を、転勤させてしまう場合が公立にはあるのだ。

公立の学校は、校長も変わる。校長が変わった後、変にイニシアティブを取ろうとして、今までのやり方を変えて、ぐずぐずになった例もある。校長だけでなく、教育長が変わって、一貫性を失うこともある。とにかく、一貫性が公立では取りにくい。6年間の中高一貫で一貫性がないという皮肉なことが起こる。

さらに、公立の中高一貫校に大学受験指導の良い先生がいると思っている人が多い。しかし、もともと、大学受験に強い学校を作るなどという目的で、文部科学省が学校を作るわけには行かない。いろいろなところから転勤がある、普通の中学、高校なのだ。だから、高校を担当しているからといって、大学受験に強い教員とは限らない。

それに、受験指導といっても、ベネッセの模試だけを頼りに受験指導をしている教員も多い。自分の経験を生かし、教えている生徒を見るのではなく、ベネッセの模試の結果を見る。ご丁寧に、生徒の間違えたところもちゃんとデータに乗るので、それを読めば自動的に受験指導ができる。これを、私たちの仲間ではベネッセ教の信者と呼んでいる。

今のところ親の誤解の助けもあって、公立の中高一貫校は、いい先生がいる、中高一貫の特徴を生かしている、受験担当のレベルが高いの三拍子そろった誤解で生徒を集めている。正しく言い直しておく。

 たまに良い先生がいる、中高一貫の特徴を全く生かしてない、受験指導担当の教員のレベルがたまに高い、この状態で、親が思っているような受験結果を出せるかどうか。いろんな意味で楽しみである。



続く