続・教師の品格|柳谷晃



第3

学校を大事にしろと言いながら-わけのわからぬ参与と顧問

私立高に徘徊するゾンビとは!?
学校が予備校の衛星学校になる?
勉強しない教師が親に受けがいいのには理由がある。



1.予備校×学校

 予備校の教員が、高校の教員を馬鹿にすることはよくあることだ。特に東京ではこういうことがよくある。自分の教え方はわかりやすくて、さらに、受験で点数が取れる。ばかばかしい。高校までの勉強を教えるときに、独自の方法など、出てくると思っているのか。こういうのに習うと、受験勉強の時に悪い癖がつく。

 高校までの勉強は、勉強の中身だけが大切なわけではない。内容とともに、自分が勉強をしてゆく上で、勉強はどのようにしなければいけないかを、学ぶ場所でもある。自分の考えをどれだけ他人の考え方に合わせられるか。最初に、どれだけ人のまねをすることができるか。そういう大切なことがある。

 そこだけしか使えないような、余計なことを教えて、「私の授業はわかりやすいだろう」と言っている。その予備校教師の頭はどうなっているのか。私の専門の数学だと、やたらとベクトルで「1次独立」という言葉を使ったり、増減表を書くのは馬鹿だ、とか言ったりする、ひどい予備校教師がいる。

 受験勉強は、もともと、役に立つものである。それを、役に立たなくしている連中がいるということである。受験勉強は役に立たないという教育評論家も、もちろん、余計なことを言う予備校教師と五十歩百歩であるが。

 東京以外の都市の場合は、人口を考えると、予備校が公立や私立の学校と協力関係を保つことは、経営上大切なことである。学校在学中も塾の資料を、学校が活用する。塾は学校から卒業後の生徒を紹介してもらう。受験の時の動向を塾から得る。全国レベルの情報を学校が塾から得る。そうすれば、学校は浪人生を、その塾や予備校に紹介する。東京ではよくあることだが、予備校講師が、都立の教員はバカだ、みたいな発言は、東京以外ではほとんどない。

 すなわち、東京近郊で、学校を塾や予備校が馬鹿にできるのは、学生が多くて塾や予備校が、独自に経営が成り立つだけの学生を集められるからである。

 もともと、予備校と学校は敵対関係にあるわけではない。それぞれに特徴があった。学校に付いていけない生徒を、大学入試の予備校で教えたこともある。今では、塾や予備校は、何人どこに入れたかが全て。落ちたものだ。学校の教員がしかっりしていない時に、その穴を埋めてあげたりもしていた。もう昔の話になってしまった。

 この傾向には親の判断力の欠如もある。自分の子がどんなにできると思っているのだろう。子供がわからないのは、いつでも学校や塾の責任と考える。最大のポイントは、子供の才能、あなたの子供にそんな才能があるか、自分をよく見なさい。学力は遺伝の要素が半分以上。あなたの子供はそんなにできない。その限りある力で、一生懸命生きていくことを子供に教える方が塾より大切だと思うが。

 こんな周りの状況を考えて、学校も自分の中で何とかしようとしている。しかし、公立はつぶれない。親方日の丸は安定している。日教組が勉強しないで、いい加減な授業をしても大丈夫。それを、ありがたいと思っている、生徒や親の誤解にも支えられる。

管理職は、試験を受ければなれるので、まさしく、現実離れの集団だ。現在は私立中高一貫校に入れて、大学受験の予備校に通わして、子供を大学受験に成功させる。そんな、経済的な余裕がある家は少ない。公立高がどんなに頼りなくても、なんとか予備校に通わせるようにすれば、大学に行ける。頼りなくても安い公立ということになる。


2.自分で自分が潰れるようにする!?

 潰れるときは、自分が潰れるようにする。これが私の世話になった経済誌の社長さんの言葉だ。

 学校を大切にしなさい。大切にするためには、学校が大切にできるかどうか、学校の内容の方が問題だ。だから、受験だけを見れば、数値的な解析を、統計的にして、大規模に資料を集め機能的に整理できる予備校に負ける。

 しかし、本当に予備校が、生徒の面倒を見てくれるわけではない。大学に入るかどうかは、大学入試の指導経験をした先生なら、生徒の問題を解いているときの姿で、大体は予想できる。

 これを言ったら、なんでわかるんですかと言った都立の教員がいた。わかるんじゃなくて感じるんだよ、馬鹿ものが。こんなレベルの教員がたくさんいる。

 この話題は今はちょっと置いておく。

 生徒が問題を解いている姿を見る、毎日の勉強のやり方を見る、そうすると悪い癖が見えてくる。その悪い癖を直す。こういうことができる先生がいる学校が、良い学校なのだ。この悪い癖を個性だと言う親や教員がいるのには驚く。能力がないのも個性になるらしい。べたべた生徒と一緒にいるだけの教員に、こういうのが多い。だめなものは、だめと言えなくてはならない。

 こういう先生を集めれば、当然最初、親は反発するかもしれないが、ある程度の能力のある親は理解する。当たり前である。こういう学校は、大学入試の実績も高くなる。東大に何人いれたかなど、大学入試の実績には関係ない。学校の中にいる中堅クラスの子供たちがどこに入るかだ。学校を選ぶときには、そこを良く見てほしい。

 べたべた生徒と一緒にいるのではなく、キーポイントだけで生徒を見る。こういう先生がいる学校は、中堅どころの生徒の進学成績も良いし、かなり良い大学に入れる。その結果、学校に対する評価は高くなる。

 授業料の安い公立に、私立校が勝負するためには、こういう先生を集めるしかない。勉強しない先生の集まりと勝負するなら、勉強して、本当に生徒の面倒をみる先生を集めるのは当然だと思う。が、どうも私立中高一貫校で四苦八苦しているところは、そうではないようだ。「自分で自分が潰れるようにする」、まさに、その通りのことをしている。


3.私立の不思議な役職

 前の章で公立の副校長などの不思議な役職の話を書いた。今度は私立の不思議な役職である。この役職は学校の生気を吸い取る、ゾンビのような存在なのである。

 私立では特別の役職を理事長などが作ることがある。私立の場合、設立者が理事長である場合がよくある。そうすると、副理事長や副校長に設立者一族の、教育が全く分かっていない人間が入ることがある。理事長一族と言うだけで、社会で仕事がでできない息子や娘が、学校の役職に収まる場合もかなりある。

 さらに、事務長が理事長の分身のようになるので、校長はお飾りで、校長よりも、事務長や副校長が発言力があったりする。

 しかし、言葉遣いはあくまでも校長に対しては丁寧である。

 例を挙げるといくらでもある。

 「このようにしていただければと存じます。」命令だろう、これは。
 おかしな理事長が教育に口を出すと面白いことを言うことがある。

 「赤はいけない。あれは腰巻の色です。」
 あんた腰巻のどこが悪いんだ、と言いたくなる。


4.公立の再任制度の導入

 学校の中で、問題なのは、ろくでもない教員が、まじめに一生懸命やっている若い教員をつぶすことだ。すなわち、自分が勉強していないから、勉強している人のことがわからない。

 公立では、教員の再任というのがある。定年退職した教員が、またどこかの学校で、非常勤扱いで雇われる制度である。非常勤であるから、直接の責任がない。勝手なことを言う。こつこつ、まじめにやってきた人は、あまり何度も再任されない。

 この再任は3年くらいで、学校を変わっていくが、何度も再任される教員のタイプはたいてい決まっている。それも、校長が再任を拒否しづらいタイプが多い。組合で強いとか、誰か教育庁の大物を知っているとかである。こういう扱いづらいクレーマーのような教員は、校長がお互いに拒否する。

 しかし、どこかで引き受けなければならないから、どこかが我慢をする。次の移動の時には、別の校長が我慢する。こういうたちの悪い再任狙いの教員が良く言うセリフ。
 「今度新任教員が来るのに、私がいなくていいのか」

 本当は、君がいない方が若い人が育つ。余計な組合教育もやるし、どうしようもない。会社で何の利益もあげていない社員、いやいたら足手まといの社員がこんなことを言ったら、間違いなく飛ばされる。

 学校では、「再任」される。この再任制度は管理職にはなかった。しかし、今度導入されるようだ。今度は、どうしようもない校長と教頭が増える。


5.私立の参与と顧問

 さて、私立に話を戻そう。

 私立の方も同じようなことが起こる。中高一貫の私立には、参与とか顧問とかいう役職がある。受験の実績が上がっていないので、生徒集めに困っている学校によくある。生徒集めに苦労するので、「受験特進クラス」とかを作る。偏差値55レベルの特進クラスである。名ばかりを絵に描くとこうなる。

 このタイプの学校は、理事などが教育には素人である場合が多い。先ほど説明した、お金を出した理事長である。すると、勝手な思い込みで、公立の教頭や校長が教育の力があると思ってしまう。または、制度を作るのに向いていると思ってしまう。

 特に、知り合いになった教頭や校長を、簡単に信じる。公立の校長や教頭は教育庁のぶら下がりで、大した実力はない。しかし、無知な理事長はこういう手合いを頼りにする。

 もうひとつの参与や顧問のタイプは、受験産業から持ってくる。ベネッセとか予備校関連の企業からである。これは、それなりに学校に役に立つことがある。受験の情報源になるからである。

 しかし、当然自分の会社の情報を売ったり、模試をやらせたりするから、学校の自由は効かなくなる。自分の学校が、どのように受験の教育をするかを全部その会社に任せることになる。予備校の衛星学校になる。


6.参与と顧問のレベル

 では、公立から来た参与とか顧問がどんな、レベルかを見てみよう。笑えますよ。

 都立高の教頭だったある私立中高一貫校の参与は、加齢臭が気になるそうだ。学校の教員に身だしなみを注意するとき。
「自分の加齢臭が気になるので、香水を愛用しています。」

 どう思いますかこれ。加齢臭は加齢臭を取るようにしなければならない。香水を使ったら、臭いものを混ぜるだけである。この話を、自分の教育に対する考え方を書いたプリントを、教員に配った時に言ったらしい。それも、内容を読み上げながらである。

 その内容がまたすごい。次のようなものだ。

「難しいことを、やさしく、やさしいことを、ふかく。深いことを、楽しく、楽しいことをまじめに」
本当に都立高の教頭だったのだろうか。

「難しいことを、やさしく」
難しいことは、易しくならない。本当のことを知りたければ、難しいことになれなければらない。

「やしいことを、ふかく」
誰が、やさしいことを難しく教えるのだろうか。深いことは難しい。易しくはならない。易しいことは深くない。

「深いことを、楽しく」
深いことを学ぶためには、楽しくないこともたくさんしなければならない。

「楽しいことを、まじめに」。
頭は大丈夫か。誰でもまじめに授業をしている。冗談を言ったり、笑わしながら、してもまじめにやっている。どう考えても彼は、それをまじめにとは思わない。

 この参与は「先生方の服装が生徒の服装に影響を与える。授業担当するのにふさわしい服装で教壇に立っていただきたい。」そのとおりだ。

 だが、彼の頭の中には、作業服を着ている先生の姿はないだろう。私の尊敬する、中学の時の先生は、いつも作業服だった。蛍光灯が切れたといえば、脚立を持って蛍光灯を取り換え、窓の具合が悪いといえば、ドライバーで窓を直していた。

 一度、窓のガラスを取り換えていたところを見たことがある。今は、そんなことを先生がする必要はないと思う方もいるかもしれない。学校では、すぐにやらなければならない修理が、結構ある。今でも、こういう先生は必要なのだ。

 要するに、この参与がしたいことは、私の言うことを聞きなさいということだ。私は教育の専門家で君たちは未熟だ。私が教えてあげる。そう言いたいだけなのだ。

 生徒を教えていて、世間全体が生徒に見えてしまう、一番教員がしてはいけない誤解を、彼はしている。こういう教員は、本当に人に教えたことはないし、何十年も勉強してこなかった。

 先ほど書いたが、この参与がプリントを配って、身だしなみの説明の際に、自分は、「加齢臭が気になるので香水を愛用している。」と言った。余計臭くなるだろう。そんなことすらわからない。それに、加齢臭ではなく、腐った心の匂いを消す薬はない。

 こういう人が、どうして教頭になれるかの、そういうレベルが教員になることが多いということだ。だから、教員全体が誤解されるのだ。


7.勉強しない教師が生徒に受けがいい?

 ところで、私の周りには、年に2本ずつの数学の論文を書いている教員が沢山いる。これを聞くと、先ほどの教頭などは、生徒の面倒を見ないで論文などを書いて、と言うだろう。

 では、論文も書けない教員は、生徒の面倒だけ見て、何を教えているのか。自分でもわかってないものを、ろくな頭も持っていないにもかかわらず、わかった振りをして、生徒に教える。それこそ、教員の仕事をしていない。

 私が習った教員にも、こういうのがいた。この出来損ないに限って、先輩教員を大事にしろとか言う。それしか、自分を大事にしてくれる理由がないからだ。こういうのが自分で勉強していると思っている。人の思い込みは怖い。特に馬鹿の思い込みは怖い。

 ただ、このタイプの教員が嫌われるかというとそうではない。生徒や親に結構評判がいい。易しいことしか教えない。難しいことは、教えられない。先に進むことを知らない。

 だから、彼らに習った生徒は、後で私のリハビリが必要になる。親も生徒もハードルを低く作る教員が好きである。なぜか、彼ら自体が、簡単なことでほめられたい、社会に出ても競争をしたくない、人より少しでも楽をして上に行きたい。

 まさに、できそこないの教員と同じ発想を持っている。難しいことがわからなければ、難しいことを処理できなければ、社会は認めない。こんな簡単なこともわかっていない。

 先ほどの教頭崩れの参与さんのプリントの最後は、「言葉遣いは、敬語を使い極端に丁寧になりすぎないようにする。一方、品位のない言葉は避ける。たとえば、「やばい」「こいつ」等の言葉は使わない。」である。

 「こいつ」らのような「やばい」役立たずの年寄りが、いかに教師の評判を落とすか本人たちは分からない。なぜなら、彼らにとって正しいのは、自分だけだからだ。

 彼と同じような教員には勉強を教える資格がない。なぜなら、彼らは教わったことはあっても、自分で勉強したことはない。あるなら、自分の考えだけを人に押し付ける、こういう行動はとらない。

 彼らがしたいことは、誰にでも自分の言うことを聞かせたいだけだ。教員にはこのタイプは多い。自分の言うことを聞いてくれていれば、満足なのだ。そんなことに、付き合わされたらたまらない。彼らがしたいことは、誰にでも自分の言うことを

 勉強をしなければ、人には教えられない。論文くらい書こうとしなければ、人には教えてはいけない。先ほど書いた教頭などは、自分で日教組の後押しをしているようなものである。

 親も面倒を見てくれるとうれしいから、こういう出来そこないに感謝する。教員の力は教科の力だ。嘘を黒板に書いている教員がどれだけいるか、まるで世間はわかっていない。そういう教員に感謝しているようでは、社会の先が見えている。


8.天下りしてくる校長や教頭

 ろくな力もないのに、昇進テストで教頭、教育委員会の課長次長、校長などのポストに就いたのが、天下りする。天下りするのは、中央官庁だけではない。校長も、教頭も天下りをする。それがうまくいくように、上にへつらう。文部科学省関係の、校長や教頭の天下り団体もたくさんあるのだ。そういう団体に、科学もわからない校長上がりなどがいて、学校に指導をする。全く場違いな発言をするのがいる。

 たとえば、生徒の発表会で、最近はやりのディベートがあった。論題は「日本の~について」だった。学校の上部団体の統括があいさつに立った。最初から、私立嫌いの発言をして、生徒の前で、自民党を褒めて民主党をけなしていたレベルの輩である。自分の好きな政党を、最初の挨拶に言うこと自体が信じ難いが、さらに笑った。

 彼の発言はこんなことだった。この学校は、公立で有数の受験校である。もっと世界のことを考えてほしい。今日の論題は「日本の~について」だ。日本じゃだめだ、笑っちゃうよ、「世界の~について」を考えないと。おいおい、民主党嫌いの統括さん、その問題は日本についての特殊事情を考えているんだよ。笑っちゃうのはあんただよ。

 さらに、生徒の研究にコメントする。研究もなにもしたことがない輩がである。だから、コメントが面白い。先行研究をしっかり調べなさい。引用と自分の意見をはっきり区別しなさい。これの繰り返し。他に日本語を知らないのか。まあ、税金を使う穀つぶしであるから、そんな程度だろう。しかし、この程度が教頭とか校長になるのだ。

 こんなレベルが日本の学校教育の真ん中にいる。先は暗い。
 こんなことで誰が、学校を大事にするのか。予備校の肩を持ちたくなるのは、私だけではないだろう。
 教員の評判を落とすのは、こういう天下り管理職と、勉強しない教員なのだ。

 私立の中高一貫校が、なぜこんなレベルの天下りをありがたく採用するのか不思議だ。しかし、その答えは、金があるのが理事長になっているからということだろう。教育はもうからない。だから、それに気がつくと、すぐに私立の理事長も学校を売ってしまったりするのだ。親が偉くても、息子や娘が学校教育に情熱を傾けるかどうかは不明である。息子や娘が学校を売ってしまったりする。

 学校を売ってしまうか、わけのわからない参与とか顧問を雇って、学校運営を任せてしまうのがおちだ。

 偏差値55程度の中高一貫校が、生徒集めのために、特進クラスを作っても、中の生徒に変な特権意識をつけてしまうだけである。それなら、あそこに行けば必ず勉強ができるようにしてくれるという評判が立つようにした方が良い。勉強だけではなく、会社に入った時の躾も大切である。それをしてくれたら、必ず後で親は喜ぶ。信用になって戻ってくる。

 自分の学校を大事にしない人たちが集まる学校を、誰が大切にするだろう。授業だってまともに聞けないレベルだろうと思えるが、いかがだろうか。

続く