別冊クラッセ|リトアニアで日本語を教える|佐藤浩一
















外国からの支配と解放を繰り返し
歴史と民族教育が強調されるリトアニアで
日本語を教える




━━━ヨーロッパ北東部の共和制国家リトアニアは、バルト三国の一つ、1990年に旧ソ連から独立し、2004年に欧州連合に加盟しています。公用語はリトアニア語ですね。

  • ロシア帝国やソビエトに占領されていたため、ロシア系の住民を中心にロシア語が話されています。
  • また、首都ヴィリニュスを始め南東部では、かつてポーランド領だったこともあり、ポーランド系の住民も多く、ポーランド語も話されています。



━━━リトアニアの教育制度について、簡単に教えていただけますか。
教育や文化に対する人々の意識についてはいかがでしょうか。

  • リトアニアの教育制度は12年制です。そのうち義務教育は10年です。日本のように、6-3-3制ではなく、4-6-2制となっています。
  • 一般的には、4年間(日本の小学校に相当)と、その後6年間(日本の中学校に相当)で義務教育を終えます。義務教育を終えた後2年間(日本の高等学校に相当)があります。
  • 希望者は義務教育の9年目に試験を受けてギムナジウムに入ることができます。ギムナジウムは4年制で一般の高校よりレベルの高い教育が受けられるといわれています。
  • また、義務教育修了後は職業学校に進むこともできます。12年の教育を終えたものは試験を受けて大学や短大などに進学できます。大学の入学に関しては、高校の成績と卒業時に全国統一試験が行われ、その結果で入学できる大学が決まります。
  • 近年はリトアニアの国立大学も有料化し、授業料は西欧の大学と変わらないか、それよりも高くなっています。そういう事情もあって直接イギリスなどの外国の大学へ進学する人が増えていますが、これによってリトアニア国内の大学のレベルが下がってきたともいわれています。
  • リトアニアはまだまだ貧富の差が大きく、家庭によって教育や文化に対する意識はまちまちです。生きていくのがやっとといった家庭も多く、そういう家庭では教育や文化に対する意識は低くなってしまいます。



━━━リトアニアの歴史は外国からの支配とその解放です。第二次世界大戦では悲惨なホロコースト体験もしています。戦争など歴史体験は教育に採り入れられていますか?

  • リトアニアは、ロシア帝国時代のロシア占領に始まり、その後もポーランドとの外交問題、ナチスドイツの占領、ソ連による支配と、常に周りの国に侵略されたり、影響を受け続けて歴史を有しています。
  • そのような背景からか、現在の学校教育では、戦争体験はもちろん、様々な民族教育に力が入れられています。外国人である私の目からは、時には少し行き過ぎではないかと感じることもあります。
  • リトアニアのような小国にとって民族教育はそれはそれで大切なことですが、現在のリトアニアにはリトアニア人だけでなく、ロシア系やポーランド系の住民も少なくなく、そういった政策は必ずしも賢明とは思えません。
  • また、一方で他民族、異文化に対して寛大になろうというキャンペーンも行っている学校もあり、今後は時刻の民族教育と異文化理解のバランスが大切になってくると思います。



━━━リトアニアの教育制度で、日本人が「日本語」を教えるには、何が必要でしょうか。

  • リトアニアでは外国人がその母国語を教えるために資格を取ったり、試験など受けたりしなければならないということは今のところありません。
  • ただ、授業はリトアニア語で行われますし、授業のほかに教育計画書や授業日誌なども書かなければならないので、基本的なリトアニア語の知識は必要です。
  • また、教育省から授業の査察を受けたことが数回あります。



━━━そもそも日本語教師を目指されたのはどのような理由からですか。また、なぜリトアニアに。

  • 私は学生時代にリトアニアでサッカー留学をしたのがきっかけで、リトアニアに興味を持ちました。
  • このプログラムは、ヴィリニュスで行われていたのですが、現在は運営母体が破産して存在しておりません。当時は、朝起きて練習に行って帰って寝るという生活で、他の事に費やす時間がない忙しいものでした。
  • それから何年かしてオーストリアの大学院に留学したのですが、そこで、リトアニア語を学ぶ機会があり、改めてリトアニアの文化や歴史に興味を持つようになりました。
  • また、留学中に、知人に頼まれて日本語を教えたのが日本語教師としての始まりです。
  • オーストリアではアルバイトとして数年間日本語のレッスンや翻訳をしていました。その後、偶然知人を通じてリトアニアでの教職の話をいただき、5年前にリトアニアに来ることになりました。



━━━リトアニアで、どのような方々を対象に日本語を教えていますか。

  • 現在、現地の高校(ギムナジウム)の数校で日本語を教えています。
  • 夜間には語学学校で大学生や社会人の方にも教えています。
  • 中には小学生や中学生もいますよ。



━━━海外で、日本語を教えることの難しさについて教えてください。

  • 文化や習慣の違いから、日本と海外では教育のシステムや学校の役割自体も当然日本と違います。リトアニアは人口も少ないですし、日本語教育自体まだ歴史が浅いので教材が不足しています。
  • また、リトアニアではまだあらゆる部分で旧ソビエトのシステムが残っていて、職場でも時々理解できないことも多々あります。それらはこちらに住んでみないとなかなかわからないことかもしれません。
  • さらに、海外で日本語教師をされている方は大方はそうだと思いますが、特にリトアニアは物価に対して給料は非常に安く、日本語教師だけで生計を立てることはやはり難しく、副業を持たないとやっていけないと現実があります。



━━━一方、日本語を教えることの楽しさは、どのようなものでしょうか。

  • 私自身いくつかの外国語を勉強しましたが、少しでも話せるようになった喜びは何ともいえません。
  • 今は教える側になってみて、生徒が少しでも話せるようになったり、大学で日本語を専攻するようになった、奨学金を得て日本へ留学したという話を聞いたときはやりがいを感じます。



━━━海外生活が長い中で、日本語に対し、何か特別な感慨はありますか。

  • 日本に住んでいたときはあまり思わなかったことですが、海外に住んでみて日本語は自分の母国語であるという意識が強くなりました。
  • また、日本語を世界の一言語としてそのルーツなど言語学的な面にも興味を持つようになりました。



━━━今後の夢や計画について、教えてください。

  • リトアニアとは学生時代から縁があり、現在はリトアニア暮らしています。この先リトアニアにずっと在住するかどうかはまだわかりませんが、離れたとしても何らかの形でリトアニアとはかかわっていければと思っています。
  • 具体的には日本語教育では子供向けにリトアニア・日本語の辞書を作ってみたり、翻訳ではリトアニアの絵本や児童書などをリトアニア原文から訳して日本に紹介したいと考えています。
  • また、機会があればリトアニアと日本で文化やスポーツ交流などをやってみたいです。











佐藤浩一

さとうこういち Sato Koichi 

日本語教師、翻訳家、ガイド
大阪府出身、現在、リトアニア ヴィリニュスに在住
早稲田大学大学院人間科学研究科(人間科学修士)
ウィーン大学大学院博士課程留学
保持資格; リトアニア政府観光局ガイド
使用言語; 日本語、英語、ドイツ語、リトアニア語
専門分野; 運動生理学
現在の職場; リトアニアの高等学校