別冊クラッセ|シリコンバレーで日本語を教える|中野昌樹
















各国のハイテク企業を集積するシリコンバレー
日本語のニーズは今なお健在か
日本語と日本観を伝える




━━━カリフォルニアにお住いになって、何年ですか。

  • 約18年になります。



━━━カリフォルニア州の教育制度について簡単に教えていただけますか。

  • 六二四制の12年間の小中高の義務教育制度です。近年高校の卒業率が下がり、公立校では2004年から”Exit Exam”と呼ばれる単位履修の他に要求されるテストに通らないと卒業できなくなりました。
  • これは英語の読み書き、そして数学のテストですが、大体8割程度の受験者が初回で合格しています。多民族国家のアメリカらしいテストなんですね。
  • シリコンバレーが位置するカリフォルニアのベイエリアは特に移民者の割合が高く、学校外では英語を話さない生徒が多いわけです。授業単位の履修はできるけれども、英語の読み書きが得意ではない生徒たちが必然的に多くなります。
  • ですから、例を挙げますと、卒業単位を優れた成績で持っていても、英語が苦手なためにこのテストに合格できない生徒が出てきます。これは、成績の上で優等生であっても卒業ができないという矛盾が生まれます。
  • また、公立校はそれぞれの学校を管理する学区や個々の学校により全く教育レベルが違います。それは、学校に必要な費用はそこの学区に住む人々の税金から多くを賄われるわけで、教育費が多く算出される高所得者が多い学区では学校の施設も教育もより良いということになります。
  • この理由で、孟母三遷の教えではありませんが子供の学校のために引越しをするケースが数少なからずあります。こうして、競争率の高い大学進学へのために備えるわけです。



━━━教育モデルの新たな試みもありますね。

  • ここでは”Charter School(公募型研究開発校)”という公的、または個人からの資金で運営される特別認可を受けた学校が数多くあります。これらの学校は公立校よりもより効率の良い教育や特殊分野の強調などの理念から成り立っています。
  • さらに面白いのが、”Home Schooling(ホームスクーリング)” という学校で教育を受ける代わりに自宅で親や家庭教師の監督のもとに学ぶという形態があります。これは、家庭教育をうけたものでも、多くの大学が受け入れの体制を持っているから成り立つものでもあります。



━━━ベイエリアでの日本語の教育事情は。

  • ベイエリアでは多くの高校が日本語のクラスを設けています。
  • また日本語の授業を日本人の先生ではなく、アメリカ人の先生が教える学校も多くあります。授業のスタイルも多岐にわたり、先日授業で短い落語を学んだという人もいました。
  • どのように日本語を学ぶ過程に入るかは様々です。若い人たちの多くは、日本のアニメ、マンガ、同人誌またはJ-popなどのサブカルチャー的な興味から日本語を学ぶようになったように見受けられます。
  • 能などの伝統芸術に興味があるという理由で日本語を学ぶような人も少数ですがいます。マンガやアニメを通しての日本語、日本観であったりしますので、私たちの日本観とはいささか相違するところもあります。
  • ただ、個人的にこれらの媒体から語学としての日本語や日本の文化をすべて吸収してしまうということは避けてほしいですね。



━━━カリフォルニア州で「日本語」を教えるために必要なものとは。

  • 私立及び公立機関で教えるためには、やはりこちらの大学の教育課程を経て教えることになります。高校、大学などでは、授業が英語で行われるわけですから、まず二ヶ国語に長けていなければなりません。
  • 特にカリフォルニアでは日本語教師の需要が高いと思われますが、私の知り合いのアメリカ人の先生方は教育学や言語学を学んだ方が多いですね。
  • JLPTと言われる日本語検定のテストがありますが、これは教師になるための試験ではなくひとつの言語力の指標です。



━━━日本語教師を目指されたのはどのような経緯からですか。

  • 私はカリフォルニアの州立大学に通っているときに、ボランティアやインターンとして日本語の先生のお手伝いをしたり、ボランティア機関で日本語を勉強している方々を微力ながら助けたりしていました。
  • また、ベイエリアにある日本法人の教育機関でインターンもさせていただきました。そして、ボランティア機関で日本語を紹介しながら翻訳もはじめ、気がつくと日本法人の進学塾に就職していました。
  • そこで、先輩の先生にあたる方々に国文法を学び、はじめは帰国子女となる日本人対象の日本語を教えていました。
  • しかし、国際結婚をされた方々のお子さんたちや、二世のお子さんたちにも対応していかなければならず、第二外国語的な日本語の授業が必要になり、英語での説明が多い授業が多くなり、週末などにはボランティア機関や非営利団体でも日本語を教えるようになりました。



━━━現在、どのような機関で、どのような方々を対象に教えていますか。

  • ベイエリアにある日本教育ゼミナールという日本法人の機関です。ここで、帰国子女、二世のおこさんたちを対象に日本語を教えております。
  • 時間が許す限り、ボランティア機関や非営利団体でもやっております。
  • 最近はハイテク企業の方々も日本人の顧客が多いということで、こちらも定期的に大人対象にそれぞれの企業で彼らのニーズに沿った日本語のクラスを開いています。



━━━シリコンバレーを有するベイエリアでは、公的なものも私的なものも含め、語学教育機関が多いのでしょうか。また、日本語のニーズはいかがですか。

  • 数多く存在します。まずベイエリアの人口が約700万人で、日本企業から派遣されている方が非常に多く、また永住されている日本人、日系人の方も多くいらっしゃいます。
  • ここにビジネスを展開される日本企業も多く現地の方を採用していますし、日本人顧客が多いという理由から必然的に日本語の需要も高いことになります。実際何校あるかというのはわかりませんが、かなりの数が存在します。
  • しかし、続いている不景気でそれらの教育機関に通う人々は減っていて、教職のポジションも減っています。公的機関、例えば高校の日本語のあの先生の授業は面白いなどという噂はよく耳にします。
  • やはり競争社会がここでも反映されていて、工夫し楽しい授業をする先生は人気があるんですね。私的機関では夜間の授業や少人数、個人レッスンまでいろいろ形態を変えてニーズに対応しているようです。



━━━そもそも日本語教師を目指されたのはどのような理由からですか?

  • 幼ない頃から語学に興味があり、また人の役に立ちたいと思っていました。日本で通っていた小中学校が当時珍しい帰国子女を受け入れる学校でした。
  • 日本人でありながら異文化を体験している帰国子女は素晴らしいと小さいながらに思っていたんですね。
  • そして大人になり国外から日本文化を見ているうちに何とか日本語を通して日本文化を紹介できないだろうかを考えるようになりました。
  • 日本文化が反映する日本語を日本人の子供たち、アメリカの人たちにも陳腐な表現で恐縮ですが、民間大使として知って欲しいというところから始まりました。



━━━海外で、日本語を教えることの難しさについて教えてください。

  • 教える側も体系的に日本語を教えないといけないとか最低の条件があると思いますが、教わる側の立場によっても日本語を教える難しさは違うと思うんです。
  • まず、日本語や日本文化に対して強い興味を持っている人、もしくは仕事上必要だという方と、学校などでまあ簡単そうだから学んでみよう方ではモチベーションが歴然と違います。
  • 前者の場合は熱意を持ち学んでいくわけですが、後者の場合は面白い授業にしないと生徒さんがあまり学ばなくなります。
  • 私の働いているところでもそうですが、学校で友達とは英語で会話し、家では親御さんだけとは日本語を使うような場合は、子供たちも日本語を学ぶという必要性を感じないわけです。このような場合は、先生も生徒も楽しくないと授業にならないんですね。
  • また、大人の場合は、ビジネスに使うから敬語表現を主に学びたい、日本で数週間だけの滞在で使うような使用頻度の高い日本語を教えてくれなどの要望も間々あります。
  • さらに、慣用句、ことわざ故事などは日本語のテキストではほとんどカバーされませんから、機会をはかって日本文化や歴史と関連付けたりして紹介するようにしています。
  • また、母語とされる言語によっても文法の理解度が違うんですね。アルタイ語族を母語とする方たちは日本語の吸収が早いと感じました。



━━━一方、日本語を教えることの楽しさは、どのようなものでしょうか。

  • サブカルチャー的な媒体から日本語、日本文化に接する人が多くなりつつある中で、私たちの言語、文化に興味を持ってくれる方々が本当に多くうれしく思います。
  • もちろん、日本語を教えることは文化紹介の一面的なアプローチと思われる方も多いかもしれませんが、私はとても大きい意義を感じます。
  • 特に最近は、人々の語彙力が低下しています。日本語を学んでいる方がことばを慎重に選び気持ちを表現されたりすると、うれしいですね。
  • それから、質問を多くする方、問題意識を常に持っていらっしゃる方も素晴らしいですね。先日も「晴れ着」、「晴れ舞台」の「晴れ」はどのような意味を持つのかと聞かれ、そこではじめて「ハレ」と「ケ」の説明ができたわけです。
  • 疑問や質問に答えられ、相手が納得している様子を見たときには大きな充実を感じます。



━━━海外生活が長い中、日本語に対し、何か特別な感慨はありますか。

  • これは私だけの勘違いであって欲しいのですが、外来語やカタカナ語の過度の使用に対しては少々の疑問を感じます。和語の復興などと拳を高く掲げるようなことでは全くありません。流動性も言語の特性でしょうが、最近の若い方対象の本を読むと形容詞に至るまでカタカナの多いことに気がつきます。
  • これらは外来語を取り入れての言語の国際化なのですね。国外から見ているからこのような風潮を顕著だと思うのでしょう。これは、私個人のアナクロニズムであればと思っています。
  • 次に翻訳に関してですが、私の翻訳の姿勢は文脈に沿った本意を他言語で伝えることだと思います。概して翻訳された日本語がわかりにくいということは、だめだと思うんです。正確性も欠かすことのできない必要条件ですが、原文の目的や誰が読むのかを考慮に入れて日本語として読みやすい文でなくてはならないと思います。
  • 説明書や特許申請など機械的に正確さを求めるものであったり、対象を把握してローカリゼーションをするという翻訳者のセンスが求められる場合もあります。先輩の文学翻訳される方が、日本語では行間で微妙なニュアンスを表現するとおっしゃっていましたが、私にはまだまだ到達できない領域です。
  • 最後になりますが、翻訳はあくまでも言語変換のひとつのプロセスですから、翻訳支援ツールだけではなく複数の翻訳者のノウハウをもっと共有する機会をネット上に増やしてもいいのではないかと思います。



━━━今後の夢や計画について、教えてください。

  • 常に日本特有の価値観を忘れずに日本の良さを世界に知って欲しいと思っています。特に私は日本の洗練された無駄の無さが好きで、また渓流釣りが大好きでもあります。
  • この二つを合わせて何か紹介するものはないかと考えてました。あったんですね、日本の伝承釣りであるテンカラ釣りなんですけれども、友人が二年前にテンカラ釣りの釣具の会社をカリフォルニアではじめて、彼とともにこの伝承釣りを通して日本を紹介しております。
  • テンカラ釣りという日本のごく薄いスライスですが、自分の趣味でもある釣りを契機により多くの人に無駄の無い洗練を知って欲しいですね。加えることが美とされる西洋で、省くことを美とする日本の価値観を少しでもわかっていただければと日々思っています。
  • また、翻訳者としても同時に無駄の無い洗練された翻訳をめざし努力したいと思います。









中野昌樹

なかのまさき Nakano Masaki 

日本教育ゼミナール教師、翻訳者
1972年生まれ、東京出身
カリフォルニア州サンフランシスコ在住