別冊クラッセ|理想教育を拓く人々|田島伸二















 1. ヒロシマの記憶
 2. 故郷の忘れもの
 3. 学生運動とインドの世界
 4. アジアと識字教育
 5. 寓話の可能性
 6. 子どもたちへ
 7. 同時代と夢








故郷に忘れてきてしまったもの、落としてきてしまったものというものは、ありますか。

時間を忘れてきました。それも子どもの時間でしょうか。春をじっと待つとか、夏を待つとか、秋になればとか、そういった、ゆっくりと動いていく時間帯ってありますね。それが今はない。

年を取れば時間は速くなる。時代時代で変わりますけれど、子ども時代はしっかりと楽しんだように思いますね。時間がたっぷりとあった。しかし、今故郷へ帰ってみるとあらゆるものが変化しています。時間というのは環境の存在でもありますから。


■さらに遡って、どのようなお子さんだったと。

好奇心が強かった。裏山の方に恐竜の足跡があると聞くと本当にあるかもしれないと探しに行ったりしました。(笑)


■現実に土器が出てきて掘り出した。

イメージ力というか、想像力が強かったですね。安野光雅さんと話しているときに、彼は島根県の津和野というところで生まれ育っているんですが、三次とおんなじように山に囲まれていて、彼が言うには、「山の向こうに何があるんだろうって、いつも思っていた」というんですね。

私もまったくおんなじなんですよ。ずうっと山に囲まれていて、あの山の向こうに何があるんだろうかって。そういう想像力をいつもしていましたね。小学2年生までは海を見たことがなかった。友達が海を見てきたっていうから、どんなんだったって聞いたら、こんな池をずうっと広げたような広さだって言うんですよ。(笑)


■瀬戸内でしょうか。

そうだと思います。静かな対岸や島々が見えたんだと思います。荒波のない。
後に日本海に行ってみたときには、今度は波は強くて波寄せはしてくるし、ずいぶん違うなと。(笑)


■はじめて海をみたとき、どんな感じでしたか。

波が面白いと思いましたね。池は静かですけれど、海の波がこっちに向かって会話してくるというか、挑戦してくるというか。


■波は雲に似ていますか、風ですか。

そうですね、んん。海は変化しているという意味では雲みたいに環境によってどんどん変わりますね。

自然はやはり変化なんでしょうね。変化が面白い。変化の中で喜びを感じたり、悲しみを感じたりする。変化は人間の思考や創造の大きなキーポイントだと思いますね。


■作品には、よく砂漠が出てきます。

砂漠は変化がないように見えて、実際には風が吹いてくると砂によって地球が変わってきたりします


■砂は光によって変わります。

おととしのことになるんですが、テレビのロケがあって砂漠で2日間ほど生活したんです。砂漠の上で寝ることになって、そのとき何と優雅だと。夜は満天、星だらけ。ちょっと陰ってきて、風が吹き始め、雨がポツリポツリときだしますと風が強くなって、砂がどんどんどんどん吹いてきて、眠るころには砂嵐になったんですね。

砂漠はもの凄い厳しいし、激しい。でも朝になって、ふんころがしとか、動いている生物を見ておりますと面白いですね。


■変化は自然、自然は変化だと。

さらにまた自然は変化するけれど、変化している中に変化しないものがある。
変化と不変とが同居している。同時存在してずっとある。

ふつう固いもの、たとえば岩とか山の形とか、一見変化しないと見えていても、人間がちょっと手を入れると、あっという間になくなってしまったりするものもある。

たとえば太平洋も一見変化していないように見えても実は変わり果てていて、もう魚は棲めないとかね、海に詳しい人は言いますね。

だから、目に見えるものだけで、目にみえるだけで変化を捉えることはできない。




■コンキチの山はどこにあるのでしょう。

「コンキチ-さびしい狐」はドイツの図書館で作ったものです。そのイメージは故郷の山、三次の山です。ところが三次の山がほんとうにコンキチの世界の通りになってしまいました。山は禿山になり、切り崩されて、多くの動物が追い出された。

この物語では、山に住む狐が、山がどんどん壊されていって、もう山には未来がないと、お母さんに何かの人間になりたいと言うんですが、お母さんは人間には成るなと、山にはたくさんの狐が山を下りて行ったが誰も帰ってこないし、人間の生活はいいとは思わないと言う。でも子狐は元には戻れない特別な術を使って人間になるんです。

そして、山を降りていって、会社へ行ってノックして、社長の絵面接をして、どこで生まれたのか、学校は出たか、何していたかとか、長いインタビューを受けて、雇われるんですね。そして働き始めると、何とその会社は毛皮の会社なんです。ある日、毛皮の在庫を見て驚く。友達とかがぶら下がっているんです。だけど自分は人間だから仕方がない。

秋になって、社長から、在庫はだんだん無くなってくるから自分で集めて来いと言われるんです。その代わり昇進させてやると。そこで鉄砲を担いで山へ、自分の故郷へ向かって行くんです。

そうしていちばんいい毛皮を撃つんですがそれがお母さんだったんですね。自分のアパートに帰ってきて泣くんです。そうすると彼の耳にはあっちこっちで人間になった狐の鳴き声が聞こえてくる。


■コンキチの本は多くの国々で翻訳出版されました。

ずいぶんとあちらこちらの国から反響をいただいたんです。三次の山、コンキチの山と同じような話がいろんな国々に数々あると。

たとえばアメリカで核兵器産業に従事しているような人々、人の幸せに生かされる技術、平和のために役立つ技術を作ろうとしている科学技術者たちは、実は自ら人類を滅ぼしてしまうようなものを作ってしまっていると。そう読めるんですね。

タイでも聞きました。人々はバンコクへ出かけて行って、一生懸命働いて、いろんなものを買ったり、勉強したりして帰ってくるけれど、彼らはエイズになって帰ってきたとか。ベトナムでも環境破壊を行っている企業を誘致してきたと。ミャンマーの山奥で話した時も、山を降りて行った人たちがアメリカへ行ったがおなじようなことになってしまったと。

世界の人々にとって「近代化」というのがひとつの大きなテーマとなり続けてきている。人々は変化への願望を持っているけれど、ただそれは変化というものが良いものだという考えが前提になっている。

しかし、変化によってもたらされる影響というものを考えておかないといけません。今のマーケットエコノミーのなかで、これは良いと思ってやっても、結果、とんでもないものが生まれる可能性があるわけですね。


■三次も消えていた。

何年かぶりに卒業した学校に行ってみたら、校舎が建て直されて自分が勉強した教室はもうありません。唯一、校庭に生えていた糸杉や井戸だけ残っていました。

そういう破片とか、名残とか、そういった形や物でしか人間の居場所というものを感じることができなくなっていました。


詩の一節で、ご両親が、自転車に空気でも入れるかのように子どもたちに「教育」という夢と希望で人生を大きく膨らましてくれた、と書いています。
母と交わした言葉について記憶はありますか。

ちょっと口にした言葉なんですが、いつまでもあると思うな親と金と。(笑)
その時分はふんふんと聞いてましたが、今痛感しますね。あっという間に親が亡くなり、そして、近頃、ああお金もいつもあるとは限らないんだと。(笑)


■父からの言葉は。

ほんとうに親父の背中を見て育ったというかんじです。家はもともと農業をやっていてたくさんの土地や田圃を持っていた。空に一番星が出てから、夕方にまた一番星が出て、それが輝く頃までずっと働いていましたからね。一生懸命働いていました。そんなに裕福ではない家庭でしたが、3人の兄弟は大学まで行かせてもらい教職に就きました。

その父が面白い話をしてくれました。中学の頃、杉の木を植えるから手伝えって言われまして植林をしました。そうしてこう言うんです。この木を植えたら、100年経ったら使えるようになるって。子どもにね。親父はそのとき40ぐらいですから100年後は140ですからね。(笑)

つまり自分のためだけじゃないんですね。100年といったら僕だって入っていない。そのために今植えるんかあと。今では凄いことを言うなあと思いますがね。

また魯迅の話をしてくれたことがありました。愚公山を動かすという「魯迅」展を見て感動したと。何かスケールが大きい、ひとつの山を動かすという思想を評価していましたね。戦後ですから大抵は中国や韓国を悪く言うようなものですが、魯迅の書いたものをきちんと評価していましたね。びっくりしましたね。


■本の記憶は。

本はもの凄く好きだったんですね。濫読で、学校図書館には小中高とすっかりお世話になりましたね。

とくに考古学とか歴史学が好きだったものですから、ハインリッヒ・シュリーマンの「古代への情熱」とかを読みました。宮沢賢治も読みました。自然の描写は影響があったと思いますね。


■賢治の世界は投影されていると。

意識はしていませんが宇宙観は共感できます。僕の場合の宇宙観とはちょっと違うと思いますが、宮沢賢治のような存在があの時代に日本にあったということは素晴らしいことですね。

時代を超え、国境を越えて、何かのメッセージを書くということは生きる姿勢そのものですし、それを学びましたね。




■本が大好きだった少年が、今、アジアやアフリカに図書館をつくる運動をしています。「キラン」(太陽の光)の名前に込めた願いとは。

文字を読み書きできない人が世界には約10億人ほどいます。とくに南アジアには、パキスタンやアフガニスタン、インドも含めてとても多い。原因は色々とあるんです。

私はその人々に読み書きを教えるという識字教育に携わりまして、偶々ある機会で、刑務所の中に子どもがたくさん入れられているということを聞き、見学しました。行ってみると、実態は、犯罪を犯した大人が子どもに押しつけているとか、冤罪にもかかわらず入っているとか、そういう子どもたちがたくさんいたんですね。

子どもというのは大人たちに使われる。たとえば10歳くらいになりますと鉄砲を持てますから、紛争の道具にされたり、人と人の対立のときにも、よく土地争いなどがあるんですが、相手を皆殺しにしてしまって、結局この子がやったと大人が罪を被せる。子どもの場合死刑になりませんので。そんな形で子どもが刑務所に入れられる。

インタビューを始めるといろんなケースの子どもたちが走り寄ってきて話してくれました。驚いたのは、子どもたちが小部屋が3つほどに分けられているのですが、250人ぐらいがぎっしり詰め込まれている。彼らはそこで生活もしているんですが太陽の光が差し込まない暗い部屋なわけですね。

これは陰惨な状況だと思い、子どもたちに太陽の光の下でスポーツをきちんとさせてやったらどうかと提言したら、道具がないと言うんです。そこでバドミントンやクリケットなどの道具を寄付しました。そうして太陽の下で運動ができるようになった。

太陽というものは、世界中、どんな子どもでも等しく与えられているものなのに、この子どもたちは太陽を浴びることもできない。光を、もっと子どもたちに、きちんと届けていかないといけない。その光は知識であり、情報でもある。そう思いましたね。

スポーツの道具を届けた後に、子どもたちにまた会いに行きました。そうすると今度はいろんな本を読みたいと言い出したのです。知識とか情報とか、塀の外で何が起きているのか、自分はどうしてこんなところに、なあなあと入っているのか、そういった叫びを聞いたんですね。

知識や情報は、太陽の光みたいに、心の中を照らしていく。このことを子どもたちは必死に願っているんじゃないかなと。そこで、キラン=太陽の光と名付けた図書館を作ろうと思ったんですね。


■子どもの頃に見た夢についてお話してください。

星空の中に星に線が全部引いてあるんですね。夢の中で、北斗七星とか、オリオン座とか、線が引っ張ってある。ああ、やっぱり線が引いてあるんだと。(笑)

また中学の頃、親父が炭焼きをやってた近くには何でも昔ながらのものがあるようだと以前から聞かされておりまして、それが実際に夢に出てきたんですね。夢の中で掘り出してみるといろんなものが出てくる。土器とか勾玉とか。

そこで翌日、直ぐに堀に行ってみるとほんとに出てきたんですね。たくさん。正夢でしたね。金の耳環とか。今も持っています。不思議でしたね。(笑)


■夢と現実が折重なっているような感じですね。
その頃、何になりたいと思っていましたか。

んん。いい大人になりたいとは思っていましたね。(笑)

最初は、歴史学とか考古学とか好きでしたから熱心に勉強していましたが、高校に行くと受験がある。受験なんか凄いきらいで、そのときは絵をやろうと思っていまして、絵ばっかり描いていたんですよ。油絵ですね。ですから高校3年間は絵ばかり描いていました。その頃は絵描きにもなりたいなあと思ったり、いろいろ転々としましたね。

つづく