日本から米国を目指そうとする留学生たち
一方、米国から日本を目指そうとする留学生たち
ベクトルの違う留学生から見えてくる日米の教育システム
ワシントンDCで海外留学生を受け入れる海野優氏に訊く
海野さんが拠点とされるワシントンDCには、国内のみならず世界各国から学生や若者が集まってきていますね。どのような街ですか。
ワシントンDCを中心とした地域には、大小あわせると16大学が存在します。これらの大学は、アメリカ人にもよく知られた大学ですから、全米だけでなく世界各国から学生や若者が集まってきます。
ジョージタウン大学
ジョン・ホプキンス大学
ジョージ・ワシントン大学
アメリカン大学
カソリック大学
ジョージ・メイソン大学
メリーマウント大学
ヴァージニア州立大学
ヴァージニア工科大学
メリーランド州立大学
「政治の街」と呼ばれるワシントンDCには、世界各国の大使館やマスメディア、様々な研究所やシンクタンクも集まっています。世界中の外交官、ジャーナリスト、研究者、学生が闊歩していて、典型的なコスモポリタンとなっています。それゆえ、多彩な人種・民族を見ることのできる、非常に稀有な都市だと思います。
いわゆる9.11以降、米国の大国としての影響力、米国に対する親和度のようなものが変化してきているように思えます。
ワシントンで国内外の若者たちと触れ合う中で変化を感じますか。
私は教鞭を執っているわけではなく、時々、教育関係のテーマに基づくインタビューを行ったり、レポートを書いたりしているだけです。だから、彼らを見たり、話したりする程度の範囲内で、感じたことをお話します。
ここ10年来の期間でアメリカの若者を見ていますと、彼らの間でも保守的な考えに立つグループと穏健ながらも革新的な考えを持つグループに分かれています。
保守的な若者たちは、アメリカの伝統と憲法を護持する保守派とは異なり、へんに宗教やポリティックスの影響を受けた保守的傾向が見受けられます。若者としては、何か不自然な感じがします。
一方、革新的な考えを持つ若者の間では、大きな三つの変化が見られました。第一は、2001年の「9-11(アメリカ同時多発テロ事件)」の時。怒りというか、アメリカに被害をもたらした敵に対する憎しみのような情念が膨れ上がりました。
それでも、ブッシュの2003年のイラク侵攻に対しては、確たる証拠のない侵略戦争に猛反対する力を結集させています。この時期の若者には、政府の暴走を防ごう、という常識もありました。
でも、そういった常識を力でねじ伏せようという政府の権力を跳ね返すだけのパワーはありませんでした。デモを立ち上げはするのですが、最終的には押し切られていくひ弱さがあったのです。
第二の変化は、2008年の大統領選挙のときです。オバマの掲げる「希望と変革」に賛同し、支持する若者の熱気が各地に広まっていたのを覚えていますでしょう。
この時は、ブッシュ政権の押し切りと封じ込めに手足を縛られていたような若者が、自由を取り戻したがごとくに活動的になりました。政治的自由を取り戻そうとする若者のパワーが、イラク戦争反対に投じたとは異なる質のパワーになっていたと思います。
しかしながら、2007年から始まる経済危機もすっきりしないままで、依然として改善しない失業問題、イラクやアフガニスタンからの進まぬ撤兵問題、大企業や金持ちに対する引き続く優遇政策などで、彼らのパワーが再び萎縮してきています。これが第三の変化です。
このように、膨れ上がったり、萎縮したりする若者のパワーですが、それでもアメリカを愛する気持ちや誇りに思う気持ちは強いものを感じます。愛国心を持つ若者が多いだけでなく、日本の受験生並みに勉強をする大学生や優秀な人材を多数有するアメリカには、まだまだ底力があると感じます。
他方、近年米国への留学を志向する日本の学生は減少していると言われます。
長年、留学生を受け入れるなど、米国と日本の架け橋的な役割を果たされてきたなかで、このような「アメリカを目指さなくなった」状況について、どのような印象を持たれていますか?
正規留学、語学留学を問わず、日本からの留学生が少なくなったのは残念です。特に中国や韓国からの留学生が増えていることを見ると、寂しい気持ちになりますね。
でも、いろいろな条件や現状を考えると、若者が「アメリカを目指さなくなった」のも、理解できます。まずは、アメリカにある原因から考えてみましょう。
「9-11」を境に、状況がすっかり変わりました。国家の安全という観点から、日本人を含めて外国人へのビザ発行が非常に厳しくなりました。日本を「同盟国」と持ち上げている割には、厳しい審査をしています。語学留学生に対するビザの発行はさらに厳格だと言われています。
アメリカの経済状況もずっと停滞しています。ブッシュの時代は、外国からの投資や株価の操作によって、一見、景気がよいように見えても、経済の実態や一般国民の生活は決してよくありませんでした。景気がよくてお金が集まっていたのは、一部の企業やお金持ちの人たちだけでした。
つまり、国全体の経済がよいわけではないために、アメリカで勉強をしたいという日本人の留学志向が奮い立たないのではないでしょうか。オバマの時代になっても、ブッシュの尻拭いに追われて、ほころびた経済を立ち直すのはなかなか難しいです。もちろん経済だけでなく、国力が貧してくると、制度にも人心にもほころびが出てきて魅力を失っていきます。
原因はまだあります。アメリカの大学の授業料の高さです。一例を挙げてみましょう。私の住むメリーランドの州立大学の授業料です。メリーランド州に住む家庭の子弟の授業料は、1学期で約6000ドルです。1年間で12000ドルします。これが、他州からの子弟は1学期で約12000ドル、と倍の授業料です。
外国からの留学生は、1学期の授業料は14000ドほどです。ワシントンのジョージタウン大学の場合は、1学期でおよそ25000ドルです。
私立大学の場合は、基本的に誰もが同じ授業料体系を取っていますが、アメリカ人学生に対しては奨学金や学生ローンがあるため、経済的救済を求めることもできます。
でも、外国人学生はこれらの制度を利用することは非常に難しいのが現実です。アメリカの大学では、ほとんどの学生がドミトリーに入寮します。この寮費も、1学期分が約16週間で、約5000ドルします。
しかもドミトリーは、6畳から8畳間くらいの室内に2人か3人で入居します。アメリカでは教育費がとても高額で、現在の日本の家庭の経済状況から考えると、アメリカに留学させることのできるのは限られてきます。これでは、日本人がアメリカ留学を志向する気持ちも萎えてしまいます。
アメリカ・サイドにある問題点を考えると、「日本からアメリカへの留学生が減っているのはなぜなんだ?」、と問うアメリカ人の視野の狭さに首を傾げたくなります。
でも、このような思考は今に始まったことではありません。かつての繊維・家電問題から始まり、自動車問題でハンドルの位置も改良せずに、「日本人はなぜアメリカ車を買わないのだ?」、という発言をしています。
また、りんごの輸出問題が論じられた時、テレビの有名なコメンテーターが、アメリカの酸味の強いりんごを手にして、「アメリカにはいろいろな種類のアップルがあるだけでなく、こんなに美味いアップルがあるのに、なぜ日本はもっと輸入しないのか?」、と声を張り上げていました。
私などは、テレビに向かって「お前は、日本の富士りんごを食べたことがあるのか、食べてみてからコメントをしたらどうか」、と怒鳴ってしまいました。アメリカ人の自己中心性も考え直さなければならないと思います。
日本の国内事情もあると思います。ワシントンからどのようにご覧になっていますか。
日本側の原因については、まずは日本経済の長い低迷です。その影響で、学生の就職状況の悪さをあげることができます。大学を卒業できても就職が見つかるかどうかという不安がある限り、留学に対する意識は高揚しません。
留学をしてきてもそれが就職に有利とならないようでは、敢えて留学をする意味を見出すこともできません。また、留学をして異文化を知りたい、という願望があったとしても、親に経済的負担を掛けることをためらうでしょう。
このように、経済的理由が重石になっているはずですが、さらに追い討ちをかける原因があります。それは、大学生の早期就職活動の開始です。聞くところによると、今では3年生の秋口から就職活動に入るそうですね。一昔前のことであれば、3年生が終了した後の1年間を休学して交換留学をすることもできました。
あるいは、3年生までに大半の履修単位を修得して、4年生の履修科目を最小限にした上で、半年だけ語学留学を行いました。そんな学生は、帰国してから残りの科目を取りつつ、就職活動に当たることも可能でした。
でも、3年生の後半から就職活動をしなければいけないようでは、外国に留学する時期を見つけることが非常に難しくなってしまいます。2重にも3重にも留学をディスカレッジするような状況では、学生の意識も萎縮してしまいます。
話は脱線しますが、就職活動の早期化というのは、日本の将来への問題をはらんでいるようにも思えます。それは、日本の学生の学識と教育レベルの問題です。大学生がじっくりと学問できるのは、2年生と3年生のときではないでしょうか。
それなのに、3年生のときに十分な専門教育を訓練されないようであれば、中途半端な大学生ができるだけでしょう。自然資源の少ない日本では、人的資源をできる限り育てていかねばならないように思います。
高等教育と専門教育が訓練不足である学生が、社会に出てから日本の資源になりえるのでしょうか?日本では企業や会社ごとに人材を育てる社内教育が充実しているから、きっと心配する必要はないのでしょう。
でも、様々な問題に対処して、正しい分析と判断ができるようにするための基礎教育は不足するだろうと心配になります。アメリカの大学教育を知る者には、薄ら寒い気持ちにならざるを得ません。
話を元に戻しますと、日本の若者は、一見「アメリカを目指さなくなった」と言われていますが、外国留学をする人の数は、指摘されるほど減ってはいないようです。日本人にとって、日米双方の状況から留学先とアメリカが絶対的なものではなくなってきたのだと思います。その証拠に、医学・看護、国際政治、サイエンスの分野では、まだまだ多くの日本人がアメリカ留学をしています。就職に役立つための語学留学では、中国や韓国などに行く若者が増えています。
だから、これからも、学問をする分野と目的によって留学先が異なってくるのではないかと見ています。
海野さんは、イマージョン・プログラムで米国の公立小学校で日本語を教える日本の大学生をレポートしています。
留学生の意識や受け入れる側の意図はどのようなものでしたか?
また、このプログラムの意義や効果は、どのようなものでしたか?
このプログラムは、「日本語イマージョン教育」というもので、日本語を教えるだけでなく、その他の教科も日本語で指導する教育プログラムです。アメリカでも一般的に普及しているプログラムとは言えませんが、全米には外国語で授業を行うイマージョン教育を採用している学校があります。
ワシントンDCの郊外にあるヴァージニア州フェアファックス・カウンティーでもイマージョン教育を取り入れています。フランス語、ドイツ語、スペイン語、日本語のイマージョン・プログラムがあり、日本語のイマージョン教育は1989年から始まりました。ただし、部分的イマージョン・カリキュラム制を採っていて、日本語、理科、算数(数学)のクラスだけで行っています。その他の社会や歴史、英語のクラスは、英語で行います。
フェアファックス・カウンティーで日本語イマージョン教育を採用するとき、当時、ワシントンにおられた麗澤大学の理事長が教材の全面的支援をしています。そんな関係から、小学校の日本語イマージョン教育において、同大学日本語学科専攻の学生が実習体験させていただけることになったのです。
それから22年間、外国人に日本語を指導する教師になりたいという希望を持った学生が、4週間という期間で実習にやってきます。大学では、学生の参加動機や目的意識が薄弱であったり、英語力が最低基準を満たしていない場合は、実習生を送らないこともあります。また、選抜の最低基準を満たしていても、常識やマナーが欠けているような学生もふるいにかけられてしまいます。
将来、日本語教師になりえる資質をもつ学生だけが選抜されるプログラムであるため、実習生の学習意識と意欲は高いと言えます。彼らは、アメリカ学校教育の現場に身をおき、日本語イマージョン教師が生徒に日本語を教える際の方法論と技術論を学びます。もちろん、実際に教壇に立って日本語を指導したり、日本文化の紹介もします。クラスでは、全て日本語だけで指導しています。
フェアファックスの教育委員会と小学校は、毎年、快く学生の実習を受け入れて下さいます。日本語イマージョン教育を担当する日本人教師は、日常の業務に加えて実習生の指導をしなければならなりません。それでも、非常に献身的に学生を指導してくれます。
受け入れ側では、一時的にしろ日本語を母国語とする指導員が増えること、そして、生徒がより多く日本語を使う機会を与えられることを歓迎しています。子供たちが、バラエティーに富んだ学習機会を得られることに意義があるのです。
この点は、教育委員会や学校だけでなく、実習生を受け入れてくださるホストファミリーたちにも同じことが言えます。ホストファミリーのほとんどは、子供たちが日本語イマージョンのクラスで学ぶ家族です。
彼らの意図も、実習生から子供の宿題をみてもらうこと、日本語会話のトレーニングと向上、そして、日本のことをよりよく知ることにあるようです。
このプログラムの意義や効果は、どのようなものでしたか?
日本語イマージョンの教育実習は、両方に意義と効果があると評価されています。生徒たちが、より多様な指導員と言葉を交わす機会が増えることだけでなく、実際に日本から来たフレッシュな指導員によってトレンディーな情報やファッションがもたされることは、何ものにも換えられないと言ってくださいます。
そして、実習生を受け入れたホストファミリーの子供たちの日本語も、目に見えて向上するようです。実習生たちも、得ることや学ぶことが大きいようです。実習を終えて帰国する学生のほとんどが、言葉を合わせたように、「とても良い体験をした」、「視野が広がった」、「価値ある4週間であった」と評価しています。
麗澤大学の日本語イマージョン実習プログラムを担当する先生も、異文化への関心が高まるだけでなく、強い熱意を持って日本語教育に立ち向かうと指摘しています。事実、日本語イマージョンの教育実習に参加した学生の多くは、海外で日本語指導員となったり、国内でも教師となっているそうです。
また最近では、日本に移住してくる外国人に日本語を教える、地域活動員として活躍する卒業生も増えていると聞きます。日本では、麗澤大学のイマージョンの教育実習について知らない方も多いと思いますが、これはとても素晴らしいプログラムです。もっと多くの学生に知って欲しいと思います。
一方、日本への海外留学生は増加しています。とくにアジアからの留学生数の増加は、政策上の効果もあり、顕著となっています。
海野さんは、最近、日本に留学した米国人留学生(メリーランド州立大学)にインタビューを試みています。
私がインタビューしたアメリカ人学生は、州立メリーランド大学の4年生でした。3年生を終えた彼らのうち、3人は1年間、1人は半年間の短期留学で日本の大学にいきました。専攻分野は、それぞれ日本語、心理学、宇宙物理学、電気工学という具合に異なりますが、みな日本の文化に興味を持っています。
日本語を専攻するケビン・デメント君は、小学生のころ、アメリカのマスメディアで放映されるようになった日本のアニメと漫画がきっかけで日本語に関心を持ちました。映像に投影される日本の文化、社会、伝統、人間模様、言語といったものに興味を抱いたそうです。
大学では、迷うことなく日本語と日本文化を専攻することにしました。そして日本への留学の動機は、生きた日本語を磨き、さらに日本文化を直接日本人から学びたいというものでした。大都会を離れた地方都市の大学の方が、より日本的な文化に接する機会が豊富にあるだろう、と考えて広島大学に留学したそうです。
宇宙物理学専攻のブライアン・プローガー君は、サイエンス系であるのに日本語を3年間学んだのは、将来、日本の科学者と一緒に研究をしたい、という願望があるからです。だから、日本で「普段着の日本語」を学び、自然な形の日本語を話せるようになりたい、というのが交換留学への動機でした。そして千葉大学に交換留学をしました。
電気工学を専攻するネイダヴ・ローゼン君も、小さいころから親しんだアニメ、漫画、ビデオゲームによって日本語と日本文化に興味を抱きました。本格的に日本語を学習するようになったのは大学生になってからですが、日本語による会話能力の向上を目指して青山学院大学に留学しました。
心理学を専攻するジュリアさんは、2009年3月から8月まで上智大学に留学しています。日本語と日本文化に興味を持ったのは、中学生時代からの親友に影響されたそうです。そして大学生になってから本格的に日本語を学習し始めました。日本語が上達するとともに、日本文化について体験学習をしたいという願望が強くなり、日本への留学を決心しました。
4人に共通する点は、誰も、何らかの形で日本文化に触れ、影響されていることです。単に日本文化の学習からではないと思います。その影響は、やはり日本のアニメに負うところが少なくないようです。
実は、私も、1989年から1年間、メリーランド大学の日本語学科で日本語を指導したことがあります。このときは日本の経済力がピークにあり、そのために日本語を学びたいと希望する大学生が多く、日本語を教える教師が足りなかったからです。この時代の学生は、日本企業に就職したいという願望が強く、日本語が少しでもできれば就職に有利になると考えていました。非常に実務的な考えから日本語の単位を取ろうとしたのでしょう。
1990年代の後半から、「セーラームーン」や「ピカチュウ」という日本のアニメがテレビで放送されるようになります。このころ小学生であった大学生は、テレビのアニメ番組を見て日本文化に興味をもったようです。
現在、私は「日本語塾」という日本語教室を開いていて、土曜日の午前中だけ、アメリカ人の若者に日本語を教えています。高校生と社会人の2グループを指導しています。高校生たちは、日本製アニメと宮崎駿作品の影響を受けて日本語を学びたいという動機を持っています。
社会人も、大なり小なり、アニメから日本語に興味を持ったのですが、日本の大学に短期留学をしたり、語学留学をしたり、あるいは、JETプログラムで日本に行っていたことのある人たちです。
いずれにしてもすごいと思うのは、英語に吹き替えられたアニメを見ながら、言語で理解したい、という気持ちです。日本の子供たちで、欧米のアニメや映画を見て、その国の言葉で理解したいと思う子がどのくらいいるでしょうか? アメリカ人の持つ進取の気を見るような思いがします。
留学生たちの日本に対する印象はどのようなものでしょうか。
日本で短期留学をした学生の多くは、日本に対して良い印象を持って帰国しています。
例えば、夏休み中にホームステイをして地域の夏祭りにも参加したケビン君は、アメリカでは稀な生活文化を発見しています。「日本では、若い世代と古い世代が一緒に住み、そして共通の時間を過ごすことが少なくないこと」をあげています。世代間格差をもつアメリカ人にとっては新鮮な驚きであったのでしょう。
彼はまた、大学の剣道部に入部しました。面や胴の防具をつけ、竹刀を持って打ち合う練習を積みました。面を叩かれ、小手を打ちつけられ、汗だくになっての練習であったけれど、「日本の大学生に溶け込んだという満足感を得た」と言います。それは、ともに汗を流す練習を通じて、初めて親しい日本人の友人ができたからです。
アメリカの大学の主要運動部では初心者の入部は難しいが、初心者をも受け入れる日本のクラブ活動は素晴らしいとも賞賛していました。ネイダヴ君は、「日本の社会が実に平和で、しかも安全であることに感動した」と言っていました。アメリカでは、人種の対立による暴行事件、多発する殺人事件、家庭内暴行、レイプ、と日常の中で様々な事件が起こっています。そのような社会に住んでいる者にとっては、日本の社会の安全さに驚いたわけです。
否定的な意見については。
もちろんネガティブな印象についても話をしてくれました。インタビューをした学生が共通して抱いた印象は、大学の授業に関してのものです。その第一は、学生と教授間における質問、対話、授業後の会話が非常に少ないというものでした。
一方通行的な講義スタイルを取る日本の教授には、「近寄りがたさを感じ、質問をするのがなんとなく恐ろしい存在だった」と言っていました。ジュリアさんも、この点について次のように話してくれました。
「どの授業も、十分な講義準備に基づいた興味ある講義であったけれど、多くの教授は、教壇に立つと学生の出席を取った後すぐに講義を始め、授業が終了するとすぐに教室を去っていく。アメリカの教授に較べて、学生との交流に大きな違いを感じた」。
一般的にアメリカでは、講義中でも講義が終わった後でも、学生と教授間のコミュニケーション、対話、質疑応答が頻繁に行われています。時には授業中に、学生が自分の体験談などを披露するような時さえあります。それが内容のある話だったりすると、教授も学生による脱線話を容認してくれます。
また講義中に鋭い質問がでると、「That’s good question!」と言って褒めてくれるのです。最近では、大学の授業でも、教授とのコミュニケーションにもコンピューターが使われていますので、クラス外からのコンタクトも頻繁です。教授は、学生が自分で考え、自分なりの意見を発表することを奨励しています。
第二の指摘は、授業中に学生から発せられる質問や発言が少なく、静かに進行する講義は緊張感に欠けていることでした。先にも申し上げましたように、アメリカのクラスでは、全く質問が出ないということはありえません。
もちろん科目やクラスによっても違いはありますが、質問が次の質問を呼び、最後はクラス内での討論になるようなことさえあります。そのような積極的な授業展開になると、教授は司会者・解説者のような役割を取るときもあります。
だから、日本のクラスで見られるような光景、つまり、机に伏せて居眠りをしていたり、友達どうしでおしゃべりをしたり、携帯電話を使用していることなどは、ほとんどありません。
もしそのような学生がいると、教授は学生を叱責したり、その時間だけ学生をクラスから追放します。同じくジュリアさんは、日本の大学で面白い現象を見つけています。それは、どの教室でも、前3列に座る学生はほとんどいない、ということです。この点もアメリカでは異なっています。学習意欲の高い学生や、良い成績を取りたいと考える学生は、どのクラスでも教授と話のできる距離にある前の席を取るからです。アメリカの学生は、授業中にスナックをつまんだり、飲み物を飲むようなことはよくありますが。本当に日本の大学のクラスは、不思議な雰囲気だったようです。
その他の面で、次のような指摘がありました。外国人は日本語がわからないというステレオタイプな先入観と、日本語が話せる外国人には日本人らしく振舞うことを期待する矛盾性。世界のほとんどの国は、複合民族で構成されていることを理解できる日本人が少ないこと。
日本人は外観を気にし過ぎること。つまり、自己のスタイルを確立するというより、人が自分をどう見るか、どう判断するかということを常に気にしている、と言います。さらに、あまりにも多い日本人の鉄道飛び込み自殺に大きなショックを覚えた学生もいました。
彼らは、日本人自身がなかなか気づかない点を率直な目で見ています。でも、短期で日本留学してきた学生には、より日本びいきになって帰国する学生が多いです。日本社会における安全性、日本製品の質とサービスの質の高さ、進んだ理工分野の技術、美味しいだけでなく多様な料理など、日本からもっと学ばねばならない点が沢山あることを認識するようになるアメリカ人が少なくありません。
このレポートでは、日米の教育制度の相違や日本の大学教育に対する評価をまとめています。どんな点が浮き彫りになりましたか。
日本とアメリカにおける教育や大学の制度、あるいは文化というものが異なるために、一概にどちらが勝っていてどちらが劣っているということは言えないのですが、それでも、高等教育を受けた人間の学識、知的レベルといった面を考えると、大学生はできる限り勉強をして知的訓練を受けるべきだと思います。
人間の20歳前後といく時期は、頭脳的にも、体力的にも過酷な訓練に耐ええるとともに、いろいろなことを吸収し、思考できるからです。
アメリカの大学では若者に高等教育を与え、なおかつ、社会にでてから活用できる専門教育を施しています。それについていけない者は、大学をドロップアウトしたり、よりレベルの低い大学に移っていきます。
大学を卒業できる学生は、入学時の人数の半分くらいだと言われています。だからこそ、レベルの高い大学で専門教育を受けた者は、「専門知識を習得した者」としての自負と自信を持って社会に出て行きます。
だから、実際には現実の社会における実体験の積み重ねがなくても、勉強をしたという自信に基づいて、自分のアイディアと意見を発表できるのです。
その点、日本の大学生はいかがでしょうか?普通に大学を卒業した者のどれだけが、専門知識と知的レベルに裏付けられた意見を提示できるでしょうか。会社に入って、上司から言われたことを素直に受け入れるのはよい点でもありますが、アメリカの大学生や社会人に比較すると、マチュアリティー(成熟度)で劣ってしまいます。
このような土壌を踏まえて日米の大学教育を比較すると、「日本の大学教育は、非常にリラックスできて、天国のようだ」ということになります。この点は、アメリカ人学生だけでなく、中国や韓国の学生からみても同じことを言います。
彼らの大学生活は、勉強や試験との格闘の4年間だからです。現在の日本の状況からみるとあまり厳しいことは言えませんが、それでも、大学生はもっとがむしゃらに勉強しなければいけないはずだ、と思います。
外国人留学生を受け入れる日本側の対応ですが、大学は、留学生に日本の大学教育のシステム紹介、大学職員や日本人学生と交わる機会の提供、大学周辺のコミュニティー情報の提供など、きめ細かい努力が必要だと思います。
また学生たちも「外国語が得意でないから」、という引っ込み思案を捨てて、留学生を友だちの輪のなかに引き入れる努力をして欲しいものです。むしろ、「日本語を教えてやろう」、というくらいの気持ちを持てるようになって欲しいですね。
インタビューした学生の誰もが言っていましたが、「日本語を上達させるためにも日本人学生と友達になりたい」、という願望を持って日本に到着します。
では、アメリカ人学生が留学生に対して寛容であり、フレンドリーかというと、決してそんなことはありません。それでも、ざっくばらんに声を掛けたり、困っているときには助けてくれる学生が多いことは確かです。とりわけ日本では、大学自体も外国人留学生をもっと受け入れたい、という願望があるわけですから、大学のセールスバリューを高める必要性があります。
また学生にとっては、「外国文化や外国語をただで学ぶ機会」として、キャンパス内で見る留学生と友達になるくらいの積極性を発揮して欲しいと思います。私が日本語を指導しているアメリカ人のほとんどは、交換留学生、語学留学生、英語指導員として日本に行ったことのある人たちです。
彼らも言っています。日本人のグループに入れてもらい、仲の良い友人ができると、日本と日本文化がより好きになると。大学も大学生も、日本の国際化に貢献できるフロントラインにいるのだ、ということをもっと理解して欲しいですね。
アメリカで見られる海外の留学生と日本人の留学生の違いについては、いかがでしょう。
アメリカの大学で見る日本人留学生とその他の国からの留学生の違いも沢山ありますね。ワシントンDCやその周辺の大学に来ている留学生と、ハーバード大やMIT大学などに来ている留学生では、だいぶ差があると思います。だから、ここでは、ワシントンDC周辺の大学に限定してお答えいたします。
外国からの留学生は、概ねアメリカ人学生と同じで、よい成績を取ることを目指して勉強します。よい成績は、就職の際に有効だからです。だから、成績がつく学期末になると、目の色を変えて頑張る学生が少なくありません。
また、成績が不本意なものであったりすると、その成績を少しでも上げてもらえるよう交渉したりします。その成績に対する執着度というものは、日本人には見られません。日本人留学生は、何はともあれ、成績を取って卒業できることを第一の目的とする学生が少なくありません。
もちろん、日本人留学生も一生懸命に勉強をします。専門科目の理論と知識を覚えるだけでなく、一番の障壁である英語との闘いもありますから、外国人留学生以上に時間をかけて勉強する者もいます。
だけど、今申し上げたように、成績を落としさえしなければよいという意識がありますから、日常の勉強態度がどうしても軟弱であるように見受けられます。日本人留学生は、休みになるとゴルフに高じたり、飲み会を開く、というようなことが多い点で、他の学生、留学生との違いを感じるときがあります。
多分に、日本人留学生は、留学が終わったら日本に戻る、という点でも外国人留学生との違いの一つだと思います。外国人留学生も母国に帰りますが、卒業後はアメリカで職を見つけ、アメリカに根を生やすことを考えている学生が多いです。
欧米や中南米からの留学生はもとより、中国、台湾、フィリピン、インドなどアジア系の学生も例外ではありません。むしろアジア系や中南米系の学生の方が、アメリカに根を生やすことができたら自分がスポンサーになって、家族や親戚の者を呼び寄せようという意識が強いと言えます。
留学生ではありませんが、ベトナムやラオス、カンボジアなどからの難民の子供たちも一生懸命に勉強します。そして収入の多い職種について、親の生活を援助しようという気持ちがあるからです。
そのような学生たちと日本人留学生を比較してみると、目の色だけでなく、勉強に対する心意気と目的意識まで格段の違いを感ぜずにはいられません。日本人には、このような事実を、もう少し知って欲しいなと思いますね。
海野さんご自身、米国へ留学されていますね。
どのような動機、目的からでしたか。
私は、1979年の5月に渡米しました。動機は、純粋にアカデミックな研究をしたい、というものではありませんでした。私は、当時の文部省の外郭団体である「ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)」というところに勤務していました。
最初は、図書開発部で、アジアの子供の本の出版・援助を担当しましたが、その後、総務部に移りました。総務部では、図書開発部だけでなく文化事業部を含めた、ACCU全体の事業促進や予算請求、維持会員募集などの業務を補佐しました。これは、将来、図書開発部や文化事業部に戻ったときに実務に基づいて現場の仕事を遂行できるための見習いでした。
でも、総務部の仕事をしながら、次のような気持ちを強くしていきました。途上国に対する文化援助という仕事に従事するには、実務の知識も大事であるけれど、もっと何かを身につけることが必要ではないか、ということでした。
それは、今で言う、国際理解です。途上国の状況と彼らのニーズを理解できるための国際感覚を磨き、また適切な助言ができる国際常識を習得し、さらに、多様な視点から物事を見る目を養いたい、と考えたのです。さらに、適切なコミュニケーションができる英語力の養成も必要なことと思っていました。
だけど、アメリカでどのような勉強をしたらよいのかよく分からず、最初はカリフォルニアの州立ハンボルト大学で心理学の講座をとりました。その後、メリーランドに移動し、州立メリーランド大学で心理学を継続すると同時に、この大学で見つけた、「Family & Community Development」という大学院の専科に入学しなおしたのです。この専科では、人間や社会が抱える諸問題を分析して、それらの問題解決策を講じる技術論と方法論を学びました。
それは、コミュニティーが形成される(つまり市町村レベルの都市化)と、そこで様々な人間の問題が発生します。いろいろな問題に対して、どのような対処を施すのか、そのためにはどのような組織を立ち上げ、どのようなプログラムを準備していくかという問題解決と支援技術と方法論を専門に勉強するコースです。クラスメートのほとんどは、社会福祉、福祉行政、コミュニティー活動、あるいはカカウンセリングにあたる人たちでした。
心理学の単位をいくつか取得していたのと、大学院で勉強を続けていたおかげで、メリーランド州モンゴメリー・カウンティーのHousing Opportunity Commissionという住宅供給公団のような公共組織が運営するAfterschool Day Care Center(低所得者児童のための学童保育)で、3年ほど園長をする機会を得ました。なかなか普通の外国人には見ることのできない、アメリカのもう一つの社会と顔を見るかとができ、それは素晴らしい体験でした。
この時の話を続けると、紙数が何枚あっても足りないくらいですので、話を元にもどします。留学の目的は、前述しました通り、国際文化援助の仕事に携わるにあたり、異文化を理解できる国際感覚を養成したうえで、アジア圏途上国の支援活動に戻ることでした。1982年9月に、ACCUへ復帰したい、という希望を持って日本へ帰国します。
しかしながら、現実には復帰の機会は与えられませんでした。なぜなら、ACCUは財団法人のため、職員の募集は空席ができた場合に限られ、しかも国家公務員法に準じて採用するからです。たとえ空席ができたとしても、年齢と給与体系が複雑になるから、というのが理由でした。泣きたくなるような気持ちでしたが、くよくよしていてもしょうがないですから、再びアメリカに戻りました。
そこで会社を立ち上げることになるわけですね。
どのような事業を目的としているのでしょう。
メリーランド大の学生であった時に、時々アルバイトをしていた日本人旅行社で職を得ました。リムジンの運転、ツアーガイド、逐次通訳などをしました。だけど、「俺は観光の仕事をするためにアメリカへ来たのではない」という思いが常に心の隅にありました。そういう自分の気持ちと反するように、日本の会社の企業研修を専門に手がける旅行代理店にリクルートされ、ワシントンDC支店を担当するようになったのです。
でも、日本のバブルがはじけるころ、旅行代理店を離れて「Unno Research & Travel Assistance (URTA)」という自分の会社を立ち上げました。1997年のときです。URTAは、教育、福祉、医療分野における学生や専門家の視察訪問、研究・研修を支援することを目的にした会社です。
この時、私は既に40代に入っていましたので、自分が何らかの専門家になるのではなく、真の専門家や研究者にアドバイスとアシストを提供するスペシャリストになろうと決心したのです。URTAを立ち上げて15年、いまでも細く長く続いています。
現在では、ワシントンにある国立公文書館や議会図書館に資料を探しに来られる研究者を対象とする「リサーチ・アシスト」、在外研修生としてワシントンに来られる国家公務員や大学研究者の生活を立ち上げる「リロケーション・サービス」、いくつかの大学の実習や研修プログラムをアシストしたり、コーディネートする「学生研修アシスト」、英語を勉強したいという若者の「語学研修コーディネート」、それに、資料調査やインタビューを目的としてワシントンに来られる研究者などに宿泊サービスを提供する「ゲストハウス・サービス」を主な柱として活動しています。
「研究者のためのゲストハウス」とはどのようなプログラムですか。
これは、要するに数日間にわたる滞在者が宿泊できる「ベッド&ブレックファースト(民宿)」です。もちろん、研究者だけでなく、どなたでもご利用になれます。でも、ほとんどのお客様は、大学の研究者、在外研修にやってこられる国家公務員、それに民間の研究者です。
では、どういう経緯でゲストハウスを始めたかをお話いたしましょう。かれこれ13年前のことですが、日本の地方大学の研究者がメリーランド大学の客員研究員としてやってきました。お住まいが近くであったため、時々、週末の食事を我が家で一緒にしました。
その折に、「資料調査に来る研究者のための宿泊サービスを開いたらどうか」、というアイディアをいただきました。研究者は、十分ではないにしても、宿泊費と日当に当たる費用を支給されて調査にくるのだそうです。
でも、昼間は図書館や公文書館で資料探しとコピー取りの作業で過ごし、夜になってホテルに戻っても一人、夕食に出かけるのも一人。レストランで、メニューも分からない上に一人食事も味気なく、結局は簡単なものを買ってきて部屋で侘しい夕食となってしまう。だから、作業が終わって戻ってから、「今日は何を食べようか」と考えないだけでも有難い。
さらに、一杯呑みながら日本語でいろいろ話が出来たら、こんなに嬉しいことはない、という話でした。これがきっかけで、お客の対象を研究者に絞ったゲストハウスを始めたのです。
研究者で短い方は1週間、平均で2週間のご滞在です。長い方は5ヶ月間の滞在をしています。朝夕は、最寄のメトロ駅まで送迎します。初めて議会図書館や国立公文書館をご利用になられる方には、実際に案内して、利用のノウハウを指導いたします。また、何らかの視察やインタビューが必要な方には、アポ取りをしたり、同行して通訳などもします。
研究者が見つけた資料が多く、滞在期間中に全てのコピー取りが完了しない場合には、その方に代わって残った資料のコピーを取り、それを日本に郵送してあげる、ということもしています。
そして13年余。いろいろな分野の研究者がご利用下さっています。夕食時のテーブルで、その日の成果や珍しい資料が見つかった話などに花が咲きます。また、何人かの研究者が同時期にご宿泊し、研究者同士のネットワークができることもあります。多くの利用者は、リピーターです。ゲストハウスをご利用される方は、大学の研究者だけでなく、国立衛生研究所に来られる医療関係の研究者もいます。
また、国家公務員としてワシントンに赴任される研修員もいます。だから、普段接せることのない方々をお迎えして、見知らぬ世界の話を伺うこともできます。いろいろな専門家にお会いし、しかも貴重なお話や面白いお話を無料で伺えるにもかかわらず、お金をもらうわけですから、楽しいビジネスだと思っています。
最近では、福祉医療分野の教育プログラムも支援していますね。
ワシントンに、リンカーン大統領の認証を得て開設された「プロビデンス病院」があります。カソリック系の医療団体であるAscension Healthが運営する一医療機関ですが、ワシントンDCでは、実質的に市民病院的な医療機関として、経済的に恵まれず、社会的に力を持たない地域住民に医療ケアの提供をしています。
今年も、東京慈恵医科大学と中部大学の看護科学生が、ワシントンのプロビデン病院に2週間の看護研修にやってきます。最初は慈恵医科大学医学部看護科の学生から始まりまったもので、そのきっかけがユニークなものでした。その点からお話いたします。
2005年3月、看護学科の学生5人が、プロビデンス病院で看護に関する視察とお話を伺いたいという要望を持ってやってきました。この病院には、日本人で、国際医療コンサルタント分野の研修企画を担当している住吉蝶子先生がいます。
彼女は、日本で看護医療に携わる人たちのための「看護医療研修」を担当しています。同時に、慈恵医大の客員教授も兼任しています。そこで、学生たちは住吉先生を訪ねて来たのです。それは全く学生自らが計画して実行したものでした。
ところが、後に、慈恵医大看護科では、この学生たちの積極的な行動を評価したのです。そして大学の正式研修プログラムとして採用する方向で動き、2006年の3月にパイロット・プログラムとなりました。
大石杉乃先生という方が責任者となって、9名の学生を連れてきました。この時も、非常によい研修結果を得ることができたために、2007年から大学の正式な看護研修に採用されたのです。今年で、既に7回目の看護学生研修となりました。
その研修プログラムは、具体的にどのようなものでしょう。
慈恵医大の学生は、毎年3月、10人前後のグループでやってきます。病院の教育研修スタッフによるオリエンテーションと看護の基本的実務指導を受けます。病棟や病院内の施設と設備などの見学はもちろんです。
これらの指導を受けたあと、学生たちは外科系、内科系の病棟、ER、産婦人科、新生児、バリアティブケア、CNS、NP、の専門的役割という具合に、自らが希望する領域に分かれて体験実習をします。「シャドーイング」と言って、それぞれの担当看護師について各病室を回り、患者ケアをつぶさに見て回るのです。患者に声をかけたり、会話を交わしながら接します。
またシャドーナースに援助の手を貸すこともあります。外科を希望する学生グループは、手術室に入っての見学もします。産婦人科のグループに入った学生は、時に、出産に立ち会うこともあります。この「シャドーイング」は、一人一人が体験するセクションを交代しながら行われるのです。
そして1日の終りには、ポストカンファレンスが行われ、その場で、その日の疑問や問題を解決していきます。また、研修中に体調を崩す学生もしばしば出てきます。当然、その学生に対して病院の職員たちが対応していきます。スタッフコールがかけられ、ERに運び込まれる学生もいます。
そのような時、学生は、期せずに患者としての実体験をすることになります。もちろん、学生たちは医療保険に加入していますから、医療費の心配には及びません。このような研修カリキュラムが可能なのは、住吉先生が、プロビデンス病院と慈恵医科大学看護科の両方で教鞭をとっているからこそできることです。
最近では、日本の看護学生が、様々な病院で看護研修を実施していますが、プロビデンス病院のように、これほど看護ケアの奥まで踏み込んだ研修まで行っているのは非常に稀なケースだと言えるでしょう。
研修学生たちもアメリカの看護医療の現場を観察することで、日米の看護ケアの実践の違いを学びます。アメリカ人看護師たちの日々の仕事を見て、毎年、学生たちが驚きの目を見張ることがあります。
それは、アメリカの看護師が楽しそうに仕事をしていること、患者との会話も明るくオープンな態度であること、看護師の役割責任が明白であること、そしてケアの判断にも自主性があることだそうです。毎年、研修生のほぼ全員が、看護の「カルチャー・ショック」を受けると言います。
プログラムのユニークな点とは。
学生たちは、2週間のうちの12日間をホームステイします。ワシントンの郊外に住む家庭で、二人一組になってのホームステイです。ホームステイ先は、ご夫妻のどちらかが日本人であるようにアレンジされています。それは、英語が分からないときに、日本語でヘルプしてもらうことができるからです。
また、アメリカに根を張る日本人の苦労話や人生論を聞くこともできるからです。ホストファミリーの多くは、サイエンティストであったり、医療関係者であったり、政府職員であったりします。
だから、ホストファミリーのキャリアや仕事の話を伺うことも可能です。病院での研修が終了した後は、ホテルに移動し、全員が引率教師と一緒に合宿となります。その2日間は自由行動となりますが、学生たちが自主的に2日間のスケジュールを決め、学生リーダーを中心にみんなの意見交換や実践研修に関するフィードバックをして、個人個人の体験や学習を共有のものにするのです。
慈恵医大では、研修後に、研修生からアンケートを取っています。その調査によると、学生たちの研修目的の達成度は平均で90%、満足度も平均90%という高い数値をだしています。
さらに、研修によって学んだ点は、「医療や看護、文化の違いを学べた」と、自分の意識で「より良い看護を考えていくきっかけとなった」が57%、「看護においても、日常においても、前向きに考えることの大切さ、重要さを学んだ」が43%となっています。病院の研修では、住吉先生が看護講義や「シャドーイング」の時に通訳も致します。
でも、学生たちは、基本的に英語と格闘しながら現場看護師の指導を受け、ノートをとり、そして意見発表をしなければなりません。朝は8時45分までに病院に入って、その日の研修の準備をしなければならず、ホームステイが遠い人は、朝の7時には家を出発します。夕方帰宅すると、ホストファミリーを手伝い、夕食後には宿題もあります。決して楽な2週間ではないと思います。
学生たちが自分の努力・頑張りに対する評価は、97%という高い数字を出しています。学生たちは、大きなインパクトを受けて帰国しているのが裏付けられていると言えます。
現に、第一回目の研修学生たちは、既に6年の経験を持つ中堅看護師として日本で働いています。その中の一人は、アメリカへの留学を決意しています。アメリカで専門看護師のライセンスを取りたいと、今まさに留学への準備をしているところです。
海野さんは、どのような協力されているのでしょう。
私は、慈恵医大の最初の学生から看護学生研修に携わっています。私の役割は、学生たちが元気で安全に研修を完了できるように、病院外のことをコーディネートしています。ホテルの予約、バス手配、ホームステイのアレンジ、そして市内オリエンテーションなどの担当です。
我が家にも学生がホームステイしますから、2週間の生活のなかで、学生たちとアメリカの文化、歴史、社会、そして人生などについ話し合います。
今年の研修学生は9名で、二人の引率教師とともにワシントンにやってきています。成田を出発したのが、何と三陸沖地震の起きた2日後の3月13日です。地震直後であったにもかかわらず、大学長の判断で学生を研修に送り出すことになったということです。成田空港に集合するのも困難でしたが、飛行機の運航スケジュールも遅れてしまい、シカゴでの乗り換えが間に合わいませんでした。
そのため、乗り換え便はキャンセル待ちの座席が取れた順に、三々五々のワシントン到着でした。学生たちは、研修中に、慈恵医科大学病院や日本の医療施設、救護班が医療機器に使用するバッテリーが不足してきているというニュースを知りました。
それで、プロビデンス病院のフリードマン医院長と ルカシアク副医院長の協力を得て、病院内で「乾電池支援のお願い」を実行しました。日本の病院の窮状を知った病院側は、全職員や従業員に、医療機器や機材に多く使われる乾電池を寄付するように呼びかげて下さいました。
研修の最終日、病院のカフェテリアの出入り口に並んだ学生たちは、寄付箱を並べて、乾電池の寄付をお願いをしました。職員や従業員だけでなく、患者さんたちからも乾電池が差し出され、1時間半の時間で、ファイルを入れるダンボール箱3個にあふれんばかりの寄付を集めたのです。乾電池の用意ができていない方からは、「電池を購入してください」と言って、現金の寄付もありました。
学生たち自身は、寄付される電池の数にはあまり期待していなかったようですが、思いがけずに集まった乾電池に驚いただけでなく、みんなの優しい気持ちや、日本の被災者の困窮を思う温かい言葉に胸が詰まる思いだったと語っていました。
今年の学生たちは、たんに医療ケアのシステムや技術の違いを勉強しただけでなく、アメリカ人の優しさと人情に、直接触れる機会を得ました。講義やテキストでは得がたい体験をしたのです。
また、中部大学の看護学生研修も2年前から始まりました。やはり住吉先生の協力を得てスタートさせた学生研修であり、大学では井口先生と山田先生が学生研修を担当されています。お二人とも米国の看護教育を受けて教鞭を取っています。
今年も、8月に何人かの看護学生がワシントンへやってくる予定です。中部大学の学生も、慈恵医大の学生同様に、研修でたくさんのことを学び、成長に一皮も二皮も剥ける、という結果を示しています。
看護学生の研修は、とてもユニークで有意義なものであると自信をもって言えます。コーディネーターとして参加させていただいている私自身も、毎回、新しい発見と体験に楽しんでいることも確かです。
最後に、日本の若者にメッセージをお願いいたします。
若者に望むことは、できる限り勉強をして欲しい、と言うことですね。特に20歳前後という時期は、体力もあり、頭脳も柔軟であり、既存の概念に囚われない自由な見方ができるからです。
そして勉強というのは、何もクラスで学ぶことだけではありません。自分の興味のあることや専門の勉強に加えて、いろいろな本を読むこと、いろいろな人の話しを聞くこと、何かを感じる感性を磨くこと、そして自分なりの意見や理論を形成して、友達や人と会話・意見交換ができるようになることだと思います。
そして可能であれば、若いときに海外に出て異文化を学ぶと同時に、外から日本を眺めてみて欲しいですね。日本にいるときには見えないことが客観的に見えてきます。もちろん、日本国内の状況を考えると簡単なことではないでしょうが、そこをチャレンジして欲しいと思います。